「ミレニアル世代」って、本当に物欲がないのだろうか。
経済学ほど理解に苦しむ学問はない。
なぜなら、経済学者で、自らの経済学説で経済的に成功した人がいないからである。
経済学の真髄を知りもしないで、偉そうなことを言うなとお叱りを受けそうだが。
経済学をどう定義づけるかは諸説あり、凡人には、どれが正しいかはわからない。
ただ言えることは、現代の資本主義経済は、消費者の様々な欲望を探し出し、
満たすことで発展してきたのは間違いがないようである。
ここに来て消費者の消費行動に変化が見られ、資本主義経済の根本が
揺らいでいると主張する経済学者が増えてきた。彼らが異口同音に言うのは1980年頃から
2000年にかけて生まれた「ミレニアル世代」(そう呼ぶそうである)は
欲望がモノから感情へと移り「モノの所有欲が希薄」になったと。
昨今流行りの言葉でいえば「モノからコトへの変化」という。
では、消費行動が「モノ」から「コト」へと変化したことを、経済学的に何というのか。
現象的にはデジタル化でシェアリングや個人取引が容易になり、
モノを買う必要性を感じない。だから「モノや家に縛られずに暮らす世代」
あるいは、物欲は最小限に抑え、旅行やスポーツ観戦とか、アウトドアなどの
体験(コト)に消費して「モノ」を買わないのではなく興味を示さない。
そんな人たちを「ミレニアル世代」の特徴と位置づけ、それが消費の中核となる。
さて、必ずしも消費を伴わない。この「コト(体験)資本主義をどう体系づけるのか。
ドラッガーやトフラーは「知識が資本になる知識資本主義」なるものがあると論じたが、
実は消費資本主義でない知識資本主義を論じる経済学は生まれていない。
ましてや、体験(コト)資本主義の概念はない。
そもそもですが、経済学は観念的で後付け学問であって、理解し難いものである。
難解なのが当たり前かも知れない。
話を戻す。ミレニアル世代が資本主義経済の中で特別な行動形態を取っているのではない。
物欲がないのではない。欲しいモノがないのである。いや、日本は日常生活に必要なものが
簡易に入手できる特別な国であると考えるべきではないか。
資本主義経済の原点である「消費者の欲望に応える商品」がない。
問題は供給側に突き付けられているのだ。同時にこの国の物質的豊かさは
有史以来飛び抜けた環境になっているのではないか。
日経新聞では新年から「逆境の資本主義」と題して、資本主義を分析しているが、
経済学的に解決できないだろうかとの視点で論じても答えは難しいと言わねばなるまい。
「饐えた臭いが漂う裏寂れた街を見て、何とかせねばと憤りを感じ行動を起こす」
それが経済学だと思うのだが。Goto
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