5月5日が子供の日になったのは・・・・?
今日は子どもの日・端午の節句です。あなたにはどんな記憶・想い出がありますか。
私は「潮干狩り」ですねぇ。小学生のころ5月5日といえば、
町内の子供会(そんな地域の集いがありました)で名鉄電車に揺られ、
愛知県の知多の海まで・・・・
団塊世代です。子どもの数が半端ではありませでした。
同じ町内だけでも同級生が20人近く住んでいました。
岐阜は海なし県です。海に行けるのが嬉しい。男友だちとワイワイ・・
小旅行が嬉しい。袋に詰められたお菓子が配られるのが嬉しい。
アサリを持って帰るのが嬉しい。
この行事どのくらい続いたのか・・・昭和23年に「子どもの日」が制定・祝日になり
町内の大人たちが知恵を絞って、子どもの楽しみにと企画してくれたのでした。
私が参加したのは2・3回でしたが、子ども日といえば、知多の海での潮干狩りが想い出です。
その頃は桃の節句は女の子、端午の節句は男の子と明確に分けられていましたので、
参加は男の子に限られていた気がします。
今だと、ジェンダー不平等ってことで問題になるんでしょうか・・・
当時は、風呂のない集合住宅に住んでいましたので・・・
いや、ほとんどの家に風呂がありませんでした。
潮干狩りの戦果は・・・帰宅後、小旅行の延長で、そのまま銭湯です。
湯船には菖蒲が束ねられ浮かんでいます。なぜ子どもの日に菖蒲湯なのかなんて知らず、
菖蒲の葉を投げ合ってはしゃぎ・・近所の爺さんに叱られ・・・
「菖蒲はなぁ。この葉から匂いが出るじゃろ。この匂いが邪気を祓うんじゃ」
「菖蒲湯に浸かるとなぁ。男の子は元気に育つんじゃ」「それで端午の節句を
菖蒲の節句とも言うて風呂に入れるんじゃ」と諭され、「ふぅ〜ん」と
ガキ大将どもが神妙に聞いたのも想い出です。
端午の節句の端午とは月のはじめの午(うま)の日のことです。
5月は物忌みの月といわれ、5月と午(五)が重なる5月5日を古代中国では端午の節句として、
湯薬に浸かり、菖蒲を浮かべた酒を飲む風習が生まれました。
日本も5月は穢れを祓う季節、田植え前に厄を祓い菖蒲やヨモギで屋根を葺いた小屋で
禊を行う行事がありました。この行事と中国から伝わった端午の風習が結び付き、
菖蒲を用いた様々な習わしが生まれました。端午の節句が菖蒲の節句と言われる由縁です。
でです。5月5日「端午」は物忌みの日、穢れを祓うのはわかりますが・・・
薬草「菖蒲」で老若男女に降りかかる災いを除け、長寿を願う日だともわかります。
それがどこで男の子が健やかに育つことを願う日になったのでしょうか。
答えは菖蒲です。武家の時代になり・・武道が尊ばれました。
武道を尊ぶことを「尚武」といいます。そうなのです、尚武と菖蒲ですね。
だから、武士たちが菖蒲を勝負・尚武に通じる縁起物として大切にするようになり、
「端午の節句」は男の子の成長と出世を願う行事へ変化、江戸時代には武士から
庶民にも伝わり・・・今日に。
ということは・・・菖蒲の節句は男の子のため、子どものためだけではない。
老若男女の災いを除ける日、疫病を祓う日でもあります。
生花店やスーパーで「菖蒲」が売られています。
今日は菖蒲湯に浸かって・・・穢れを祓いますかねぇ。Goto
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