――「未来を選択する会議」に寄せて――
我が国は、いま本格的な人口減少時代に突入した。総人口の自然減は止まらず、出生数は戦後最低を更新し続ける。人が減れば、経済は縮み、地方自治体は存続を危ぶまれ、社会保障制度は支えを失う。誰もが分かっているはずのこの構図に、なぜ歯止めがかからぬのか。危機は「知っている」だけでは動かぬのだ。
民間主導、有識者による「未来を選択する会議」が発足した。女性や若者の声を政府に提言にしようとする意図は正しい。
だが私は思う。果たしてその会議の誰が、迫りくる“人口消滅国家”の現実を、自らの痛みとして受け止めているのか。危機感を語るだけでは、解決には至らぬ。なぜなら、人口減少は制度論ではなく、生き方の問題だからである。
人間は「産む」「育てる」ことを命の循環としてきた。ところが現代社会は、効率と自由の名のもとに、この根源的な営みを犠牲にしてきた。
便利で快適な暮らしを求める一方で、家族を築く責任を回避する。経済合理性が幸福を凌駕した結果、社会は豊かに見えて、心は貧しくなった。人口減少の根はここにある。
政府がいくら「産めよ増やせよ」と声を上げても、個人の自由の前に立ちすくむしかない。では、どうすればよいのか。私は一つの提言をしたい。
――学校教育で、人口減少の恐ろしさを徹底的に教えるべきである。
子どもたちが未来の担い手であるならば、その未来に何が待ち受けているのかを正しく知ることから始めねばならない。
教科書の一章として、「人口減少が社会をどう変えるのか」を学ばせる。働き手が減り、地域が衰退し、年金も医療も維持できなくなる。これは恐怖の物語ではない。現実の予告編である。
教育は未来をつくる唯一の手段である。いま行動しなければ、30年後の日本は確実に消滅への道を歩む。だからこそ、人口減少問題を「政策課題」としてでなく、「文明の存続問題」として教えるべきなのだ。
危機を知り、恐れ、考え、そして行動する。子どもたちの胸に、この連鎖が芽生えたとき、日本の未来は初めて変わる。人口減少社会を生き抜く覚悟とは、次の世代に“命をつなぐ責任”を教え、託すことに他ならない。そう思うのだが。
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