「湯気の向こうに、青春がいた」

晩秋、鍋料理が恋しい。あなたはどんな鍋を好むか?

大晦日まで、あと五十四日。二十四節気は霜降、七十二候は「楓蔦黄なり」。
晩秋である。あの灼けつくような猛暑も遠い昔のよう。

北国では雪が舞い、我が社の北端・旭川ではすでに根雪が積もったと聞く。四季があるから日本は美しい――そうは言うものの、北国の人にとっては、これからが厳しい闘いの始まりだ。

冷たい風が頬を打つころ、恋しくなるのは、あたたかい鍋料理。
奇しくも今日は「鍋の日」だそうだ。記念日好きな日本らしいが、こればかりは歓迎したい。石狩鍋、きりたんぽ鍋、しょっつる鍋、芹鍋、もつ鍋、寄せ鍋……名前を並べるだけでご当地が浮かぶ、湯気が立ちのぼるようだ。

ある調査によると人気の鍋トップ3は、寄せ鍋、すき焼き、しゃぶしゃぶ。全国区で見ると、やっぱり「肉」なのだ。

だが、私の若き日(青春時代)はそんな贅沢はない。もっぱら“水炊き専門”であった。ボロ公団住宅の六畳間に仲間を呼び、白菜と豆腐、安い鶏のぶつ切りを土鍋に放り込む。タレは酢醤油。酒はいも焼酎「薩摩白波」を斗買いして湯割り。湯気の中で政治を語る。いつしか声が荒くなり、喧嘩して、最後は鍋を前に全員ごろ寝。

翌朝、固まった鶏脂を見ながら、「これが青春の証」と勝手に納得していた。思えば、友情も夢も、あの湯気の向こうから生まれたのかもしれない。今も我が家の冬は「かしわの水炊き」で始まる。ニンニク醤油に漬け、片栗粉をまぶし鶏の出汁が立ち上がると、心まで温まる。

最近はチーズ鍋、トマト鍋、カレー鍋など、“えっ、これも鍋!?”という変わり種も人気らしい。試しに食べてみると意外とうまい。結局、鍋の本質は“みんなでつつく”ことにあるのだ。味より会話、具材より笑顔。これが鍋の真骨頂である。

料理研究家によれば、日本には今や百種を超える鍋が存在するという。具材も味も自由自在。懐の深さこそ、鍋文化の魅力だ。

人の繋がりが薄くなったといわれる今こそ、鍋を囲もうじゃないか。気の置けぬ仲間と、湯気の中で笑い合う――そんな時間にこそ、人生の旨味がある。晩秋の夜、鍋の湯気がふわりと立つ。人の心もまた、ゆっくりと温まっていく。

――ただし、締めの雑炊まで食べたら、体重計は見るなかれ。
それが、大人のたしなみというものである。Goto

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