時間に追われる人生を卒業したい

――前倒しという、静かな修養――

秋も深まりますと、黄昏気分が増す。自省が頭をもたげる。
私は、ずっと一夜漬けの人生を生きてきたように思う。

学生のころの試験勉強も、原稿の締切も、いつも最後の最後に焦って帳尻を合わせてきた。若いころはそれでも何とかなった。だが、齢を重ねて気づく。
「時間に追われる生き方では、心が育たない」と。

仕事を前倒しに進める――この言葉の意味を、ようやく理解できるようになった。それは単なる効率化ではなく、時間を大切に扱うという心の作法である。
前倒しとは、未来のために今日を丁寧に生きること。
言い換えれば、“今この瞬間を誠実に使う”という生き方である。

かつての私は、いつも「間に合わせること」に必死だった。
しかし、前倒しを心がけるようになってから、ふとした気づきが増えた。

一歩先に準備しておくと、人の話をゆっくり聞ける。
早めに原稿を仕上げておくと、感謝の一言を添える余裕が生まれる。
時間のゆとりは、心のゆとりを生む。それが、思いやりや創造力につながるのだと。今年の私のテーマ「寄り添う」とはを考え、行動することができる。

自然の営みもまた、前倒しの哲学に満ちている。
春の花は、冬の寒さに耐えた芽の努力の上に咲く。
秋の実りは、夏の汗の積み重ねでこそ実る。
自然は決して慌てない。けれど、いつも前もって働いている。
私たち人間だけが、怠けては焦り、焦っては後悔している。

安岡正篤師は「時を制する者は、事を成す」と説かれた。
この言葉は、時間を支配するという意味ではない。
むしろ、時間を敬い、感謝する心があってこそ、事は成るのだと思う。

日々、予定より少しだけ早く動いてみる。約束より少しだけ早く届けてみる。それだけで、世界が柔らかく見えてくる。
前倒しとは、他者への礼儀であり、自分への修養であり、
そして何より、「今」を生かしてくれている時そのものへの感謝なのだ。

人生、まだ遅くはない。喜寿の私がいうのだから、あなたなら尚更だ。
時間に追われる日々を卒業し、時間と寄り添う生き方を目指したい。
その第一歩が、「前倒し」という静かな修養である。なかなかできないが。

なんとなく説教臭いこと、年寄りの冷や水とお許しください。
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