スポーツ放映権と“夢の共有”という国益、スポーツ庁出番です。
来年のWBCは地上波で観られない。ネットフリックスが中継することになった。WBC側が配信権を直接付与したからである。思い起こせば前回大会は大谷選手の活躍で日本中が沸いた。あの興奮が、お茶を飲みながら家庭でテレビを囲む“国民的時間”をつくった。来年はドジャースに所属する三人の日本選手が出場するとなれば、ネットフリックスの視聴者は記録的に増加するだろう。
似た構図はすでに起きている。サッカーのアジア最終予選でも、日本代表のアウェー戦は地上波中継がなかった。アジアサッカー連盟が放映権をDAZNに売ったからである。では、来年のW杯北中米大会はどうか。日本代表戦が地上波で観られる保証はどこにもない。
私は、そもそも論を論じるつもりはない。ラジオもテレビも「公共の電波」であり、民放は無料で視聴できた。インターネットも基本は無料が原則である。しかしCSは有料であり、動画配信サービスも有料だ。私自身、ゴルフ好きゆえ、海外試合を見るためにWOWOWやゴルフネットワークを契約している。お金を払って見る。これは当然の選択である。
プロスポーツはビジネスだ。放映権をより高く売るのは競技団体の当然の権利である。地上波テレビにその支払い能力がなければ、中継できないのも必然だろう。資本の論理である。ネットフリックスもDAZNも社運を賭けてコンテンツを購入している。
許認可事業である地上波放送とは、そもそもの構造が違う。
そして、NHK受信料を払わなければ“国民的スポーツ”でさえ映らなくなる可能性がある。ここが重要なポイントだ。
海外の例をみたい。英国では、1950年代に「ユニバーサルアクセス制度」という考え方が生まれた。まだインターネットどころか、テレビ普及も途上の時代である。「主要スポーツ行事は、誰もが見る権利を持つ」との思想から、国が“無料で全国に届けるべき競技”をリスト化した。
五輪、サッカーW杯決勝トーナメント、ウィンブルドン決勝——いずれも、国民が共有すべき“社会的催し”であるとして、「クラウン・ジュエル(王冠の宝石)」と呼ばれている。最近では女子サッカーW杯やパラリンピックも加わった。成熟した民主主義国家らしい英断である。
翻って日本。昨夏の調査では“スポーツ中継にお金を払わない人が7割”“払う可能性がないと答えた人が5割”だという。スポーツに対する価値観が、まだ「娯楽の一つ」から抜け切れていないのだろう。だが、このまま有料化が進めば、確実に情報格差が生まれる。スポーツは夢であり、希望であり、共通の語り合いである。そこに格差が生じれば、国民的気分は荒れ、社会の一体感が損なわれる恐れがある。
だからこそ、出番はスポーツ庁ではないか。
日本版「クラウン・ジュエル」を策定すべき時に来ている。
英国の制度をそのまま真似る必要はない。大切なのは“日本人の夢を、できる限り平等に届ける”という理念である。
スポーツは、人の心を奮い立たせる。
スポーツは、地域を元気にする。
スポーツは、日本をひとつにする力を持っている。
放映権の高騰は世界的潮流であり、逆らえない。しかし、だからこそ“夢の共有”を守る仕組みが要るのだ。国民が同じ興奮を味わい、翌朝の職場や学校で語り合う——そうした社会的時間こそ、日本の未来に必要な“国益”ではないか。
地上波か、ネットか、有料か、無料か。その二元論ではなく、
「どの試合は、国民が一体となって楽しむべき“宝石”なのか」
そこを真剣に議論すべき時代に入った。
スポーツは、ただの映像ではない。
夢であり、希望であり、国を照らす灯火である。
それを守るのは、未来を担う私たち一人ひとりの“関心”から始まる。Goto


コメント
全日本のユニホームを着て、胸の日の丸に手を当て、国家を歌う選手たちに感銘を受けます。
無料で全てのスポーツが観られる事を望みます。
今日は千秋楽です。会長の予想が的中するかも?
大の里戦の疑惑の判定・・・・・
私の推しの若隆景は四連敗が痛かったです。負け越しが決まり残念ですが、弟が勝ち越し頑張ってくれました。
コメントありがとうございます。
当たるも八卦・当たらぬも・・・ですが。
立田川審判長はクビだね。何のために土俵際に座っているのか。
半分寝てるんじゃないのか・・・って思いますね。
際どい相撲には物言いを付けて決着しろ。私も大の里と安青錦の1番に怒っています。
18時までに打ち止めする。それがNHKと相撲協会の暗黙の了解です。
5分・10分遅れてどうなのだ・・・
ウクライナが、こんな酷い目に遭っているのです。
安青錦が優勝して、日本人がウクライナに関心を持ち支援を続けることができればと
心底願います。
後藤拝