AI時代に問われること

――人間を生かす企業こそ、日本を元気にする――

AIが爆発的に進化する時代、「雇用なき事業で収益を上げる企業こそ優良だ」——そんな論調が勢いを増している。猫も杓子もAIである。

だが、私は「雇用なき」には断固として組しない。事業とは、人間を生かし、人間の知恵と情熱と行動があってこそ成り立つ営みである。ここを取り違えると、社会は必ずや荒廃する。

歴史を見ても、人間の創意が社会を動かしてきた例は枚挙にいとまがない。たとえば、江戸期の近江商人。「三方よし」の理念は、商いとは人を幸せにする知恵の実践であると教えている。

明治の製糸業も、地方の若い娘たちが家族を支え、日本の外貨獲得を担った。「働く」という行為が、国家の背骨となったのである。
哀史として捉えられている。(その面は否定しない)

あるいは戦後の高度経済成長。松下幸之助氏は「物を作る前に人をつくる」と掲げ、社員を同志として育てた。そこには機械には決して真似できない、人間力の総合体があった。

中広グループも同じである。地域に根ざし、地域を元気にするための広告事業は、単なる収益活動ではない。地域を歩き、取材し、伝え、寄り添い、喜ばれ、共に元気になる——すべて“人間だからこそ”できる営みだ。

AIがどれほど進化しても、地域のおばあちゃんの笑顔を引き出し、商店街の店主の悩みに耳を傾け、広告主の未来に共に汗を流すことは、人間にしかできない。

ただし、AI時代を否定するなど愚の骨頂である。むしろ積極的に使えばよい。AIに任せられる作業はAIに委ね、同志たちは人間にしかできない役割——創造・構想・共感・実行・寄り添い——に集中すべきである。AIは“道具”であり、人間の代用品ではない。いずれは人間がAIに使われる時代がくるかも知れないが。

企業とは、人を削ることで利益を上げる場ではなく、人が最大限の力を発揮し、幸せに働くことで価値を生み、日本を元気にする場である。少なくとも中広グループはそうあらねばならない。私が同志と言うのは、そのためである。同志が輝けば事業は伸びる。同志が萎めば事業も衰える。

結びに、私の持論を記す。
人間とは喜働するから人間である。働きたくない人間が増える社会は、不幸な社会と言わねばならない。もしも日本人が働かないで享楽だけを求める社会を望むとすれば、それを否定できる企業が社会を動かして行くだろう。それがAIでなく人間であることを願う。Goto

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