スマートホームの進化を考える

YouTubeに突然、広告が入る
嫌悪感を感じ、スポンサーの商品を嫌う率は72%

IT社会である。AIを駆使し、便利で快適な生活ができる住居――いわゆる“スマートホーム”に暮らすことに、今さら違和感を持つ人は少ないだろう。

照明、エアコン、給湯器、カーテン、家電の稼働を家中のセンサーが読み取り、インターネットを通じて自動制御する。朝になればカーテンが開き、外出すれば照明が消え、冷蔵庫が牛乳の残量を把握し、スマホに「そろそろ買い時です」と通知を送る。まさに近未来的な生活だ。

しかし、この“便利さ”がどこまで私たちの自由を拡張し、また逆にどこまで管理される生活へと近づけているのか。ここに少しばかり哲学的な疑問が湧く。

住宅事情の変化を、スマートホームの観点から眺めてみよう。
いま、大手広告会社はスマートホームの実証実験を進めている。実証に協力する100世帯の家中にIOT家電が設置され、稼働状況や生活のリズムを細かくデータ化。

広告会社が開発したAIが、そのデータから住民の生活習慣を割り出し、趣向に合った商品やサービスを提案する。たとえば、夜遅く帰宅したら「疲れを癒やす入浴剤はいかがですか」。冷蔵庫の食材が減れば「夕食に最適なレシピと食材セットをお届けします」。まさに暮らし全体を“広告チャンス”にする仕組みだ。

広告を生業とする私から見ても、スポンサー企業にとってこれほど効率の良い広告媒体はない。生活者の“リアルな生活動線”に寄り添い、必要なタイミングで必要な商品の提案ができるのだから、商品開発にとっても実にコスパが良い。

だが――である。
行動を覗かれ、思考を読み取られ、自分好みの商品が“自動的に決められていく”時代。果たしてそれで良いのか。自分の意思とは何か、主体性とは何か、そんな哲学的な問いが頭をもたげる。便利さの裏側に“管理される生活”が潜んでいるのではないかと。もっとも、そんなことを言っている私は時代の趨勢から取り残されつつあるのだろうが。

こうした背景には、従来型の広告に対する生活者の強い抵抗感がある。
日経広告研究所の調査によれば、YouTubeの視聴を中断して挟まれる広告に対し、「企業や商品の印象が悪くなる」と答えた人は実に72.8%。もはや“押し付け広告”は逆効果なのだ。

その点、我が社の「地域みっちゃく生活情報誌」は、そもそも広告と生活導線が自然に一体化している。読者は生活に必要な情報を探しにページを開く。広告と読者の間に齟齬はなく、押し付けもない。ここに地域情報誌というメディアの独自性と、半世紀続いてきた理由がある。

スマートホームを活用したデータ収集と広告最適化の波は、間違いなく押し寄せてくる。抵抗感を覚えながらも、時代はそちらへ流れていくのであろう。

しかし、私はその流れを冷静に見据えつつ、読者のためになり、地域経済を元気にするための情報誌を丁寧に発行したいと思う。広告の本質とは“売りつける”ことではなく、地域の暮らしを豊かにする橋渡しであると信じるからだ。
Goto

コメント