読売新聞と大相撲に思う。
驚いた。読売新聞の一面が、まるごと“青”に染まった。新聞の一面は新聞の顔。150年の歴史の中で、ここは絶対に揺らがない“聖域”であり、どんなことがあっても変えぬのが常識である。
ところが、である。11月27日の朝刊(写真参照)。定番の書籍広告が見当たらず、代わりに踊ったのは「青いマックの日」──マクドナルドが病気の子どもと家族を支援する活動、その募金総額1億2148万660円の告知広告だ。一面の題字横にも「ご支援に感謝」と青の窓。まさに新聞一面が“青”に奪われた瞬間だ。
なぜここまでやったのか。中面でも十分な紙面がつくれたはずだ。それをあえて、一面を青く染めた。
私は思う。編集局が「この活動には社会的意義がある」と判断したのだろう。
斜陽と言われ続けて久しい新聞業界。その最高峰に立つ読売新聞が、慣例を破った。
新聞命(しんぶんいのち)の私としては、正直びっくりしたし、少し怒っている。確かに背に腹は代えられぬ。マクドナルドは巨大広告主だ。しかし一面は金で売る場所か?新聞の矜持はどこへ行ったのか?
もちろん「青いマックの日」は尊い活動だ。だが、それでも一面を青くする理由には、どう考えても釈然としないものが残る。新聞の一面を守るという“誇り”は、いったいどこへ行ってしまったのか。
そして同じ日の私の愛読欄「編集手帳」も、これまた“青”だった。
大相撲九州場所で優勝した関脇・安青錦。ウクライナ生まれ、17歳でロシアの侵略から逃れてドイツへ、そこから日本へ──4年足らずで幕内優勝、大関昇進へ。まさに奇跡の若者である。
四股名の「安青」は、“あお”。ウクライナの国旗の青と黄色。青は果てしない青空、黄色は実りの麦の色。安治川親方の“四股名”安美錦の「美」を「青」に変え、故郷への祈りを託した名前だと知れば、彼がなぜ強く、なぜ上を目指すのか、一点の曇りもなく腑に落ちる。
しかし、ここでも私は怒っている。
編集手帳は彼が優勝した“後に”ウクライナの現状を書いた。なぜ戦禍の最中には触れない? なぜ痛みには寄り添わず、勝った途端に美談として書く? 新聞が本来向き合うべきは、勝者の影ではなく、闇の中の人々の叫びであるはずだ。新聞はなぜ、臆病になるのか。そこにこそ、私は怒りを覚える。
だが安青錦はとてつもない逸材だ。
彼はハングリーだ。祖国を思う、並々ならぬ覚悟がある。
稽古熱心で、礼節を重んじ、弱音を吐かない。
三代目ボンクラ大関などと言われる、近年の気が抜けた大関とは、まるで性根が違う。この勢いなら、2026年中に横綱になる。私はそう断言する。理由はいらない。彼は、強くならざるを得ない境遇にいる。命がけで、大相撲を自分の道として背負っているのだ。
新聞界の“青”。大相撲の“青”。どちらも、青が既存の秩序に反旗を翻し、逆襲を始めたかのようである。新聞は一面を売り渡し、大相撲はウクライナの青い空を背負う若者が頂点を狙う。時代は変わりつつある。
守るべきものが揺らぎ、変わらぬと思ったものが変わる。私たちは、その“青”を、どう見つめ、どう受け止めるべきか。私は、新聞の青には怒っている。
しかし、大相撲の青には希望を見ている。
この国の報道と国技が、青によって揺さぶられた12月初旬。これは単なる出来事ではない。時代の価値観そのものが、静かに、しかし確実に塗り替えられ始めた“青の逆襲”なのだ。Goto



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