新聞の灯を消すな

ワシントポスト再生をせつに願う

ワシントンポストの経営不振が、ついに表面化した。
新聞命(しんぶんいのち)を自認する私にとって、これは日本の新聞も他人事ではない。新聞は時代を映す鏡であり、権力を監視し、民主主義を下支えする公共財である。その新聞が、新聞でなくなろうとしている。

複数の米メディアの報道によれば、**ワシントン・ポスト**は、経営幹部が従業員に対し大規模な人員削減を通知した。全体の約3割が対象、800人規模の記者のうち300人以上が解雇されるという。さらに、スポーツ部門は閉鎖、国際報道も縮小され、中東、インド、オーストラリアなどに駐在する記者が職を失う。

新聞社が記者のリストラに手を付けたとき、それは単なる経営判断を超える。
新聞が、新聞でなくなる瞬間だと言って良い。深刻な事態である。

対照的なのが、**ニューヨーク・タイムズ**である。紙に固執せず、デジタルを主戦場と定め、ジャーナリズムの価値を「課金」によって正面から問うた。その結果、デジタルを軸に会員数は1,500万人規模に達し、名実ともに完全復活を遂げた。これは奇跡ではない。決断と覚悟の帰結である。

一方のワシントンポストはどうか。経営不振が続く中で、オーナーである**ジェフ・ベゾス**氏と編集部門との対立が深刻化しているとも伝えられる。経営と編集の緊張関係は新聞社の宿命だが、今の状態は「矩を越えた」不健全な域にあるように見える。

鈍すれば貧す。
環境変化を直視せず、手を打つのが遅れた結果が、いま噴き出している。
では、これから何を打つべきか。私如きがとやかくいう話ではないが。

第一に、デジタルへの本格的な移行である。
中途半端なオンライン強化では足りない。読者データを基盤に、調査報道・解説・分析を“読まれる形”で再編集する覚悟が必要だ。速報ではSNSに勝てない。勝負すべきは「深さ」と「信頼」だ。NYTの二番煎じと言われてもやり切れる覚悟があるか?

第二に、独自路線の再定義。
ワシントンポストの強みは、権力中枢に肉薄する政治報道と調査報道にある。国際網を縮小するにしても、象徴的な拠点は死守すべきだ。世界を見ない新聞に、未来はない。

第三に、資本と支援の再設計。
単独オーナーに依存する体制が限界なら、理念を共有する複数のスポンサー、あるいは基金型モデルも検討すべきだ。新聞は“儲ける装置”である前に、“支えられる価値”を持つ存在である。

事情は違うが、日本の新聞社にも同じ苦境が迫っている。
私は許されるなら、新聞の再生に自らの経験とエネルギーを捧げてみたい。
新聞が好きだからだ。紙であれ、デジタルであれ、新聞が社会の背骨であり続けることを信じているからだ。

名門、ワシントンポストの灯を消さないでほしい。
新聞は、まだ終わっていない。終わらせてはならない。Goto

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