国民的な大会開催にもっと素直になりませんか
冬季五輪がイタリアで幕を開けた。 舞台はミラノとコルティナ。二都市同時進行という大胆な構想。芸術の国らしく、開会式は光と音と身体表現が溶け合い、まるで一篇のオペラを観るかのようであった。
日本との時差ゆえ生では見られなかったが、映像で胸が熱くなった。とりわけ聖火・形も含め実に斬新・歴史上の人物が随所に登場・さすがイタリア、文化の厚みが違う。感動した。
私は思う。
国際的な催しが日本で開かれるたび、なぜこうも反対の声が喧しいのか。東京五輪しかり、大阪万博しかり、何かあれば税金の無駄遣い、誰が得をした損をしたと、損得勘定ばかりが先に立つ。成功裡に終わってもなお、粗探しは続く。私は正直、うんざりしている。
もちろん、開催には課題もあろう。だが、いったん走り出した以上、国を挙げて成功へ導くのが成熟した国家の姿ではないか。イタリアにも反対意見はある。森林伐採で過激な反対のデモもある。しかし、いま目に映るのは、国民が祭典を楽しみ、選手を讃え、国が一つになっている姿である。イベントとは本来、分断を超えて人を結びつける力を持つものだ。
選手たちは、この一瞬に命を賭けている。四年、いやそれ以上の歳月を懸け、氷上や雪原で己を磨いてきた。その努力に、まず敬意を払うべきだ。競技が始まれば、国境を越えて感動が広がる。勝敗を超え、人間の可能性が輝く。その舞台を整えることは、未来世代への投資である。
来年はアジア大会が愛知・名古屋で開かれる。再び「無駄だ」という声が上がるだろう。今も上がっている。しかし、我々が選ぶべきは冷笑ではなく参画だ。知恵と工夫を凝らし、選手が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を整える。市民一人ひとりが当事者となり、訪れるアジアの友を温かく迎える。そのとき、日本は必ずや賞賛される。
最近、この国は少し素直さを失ってはいないか。いや相当に。自分のこと以外は無関心か反対、という風潮が広がってはいないか。国家とは抽象ではない。
私たち一人ひとりの心の在り様の総和である。
ミラノとコルティナの光景を見て、私は誓った。批判のための批判に流されず、共に創り上げる側に立とうと。アジア大会・東海地区で盛り上げると。スポーツの祭典は、国威発揚のためだけではない。人間の尊厳と努力を讃える祝祭である。
メダルラッシュが続いている。頑張れ日本選手。
そして願わくば、この国が再び、素直に感動し、素直に一つになれる国であってほしい。Goto


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