黒字リストラを考える

日本には200年以上続く企業が3000社あります。

日本人ほど語呂合わせが好きな国民はいない、などと言われる。2月6日、今日は「風呂の日」だそうだ。確かに、日本人ほど風呂好きな民族も珍しいかもしれない。

風呂の由来を辿れば、6世紀、仏教とともに伝来した沐浴、そして古来より穢れを祓う清めの儀式である「禊」に行き着く。単なる身体洗浄ではない。心身を整え、明日に向かうための再生の時間。それが日本人にとっての風呂である。

体が芯から冷えるこの時季、忙しいのは百も承知だが、汚れを落とすだけでなく、たまには湯船にゆっくり浸かりたいものだ。

風呂博士なる人の話では、37〜39度の「ちょっとぬるいな」と感じる湯に、15分ほど浸かる「微温浴」がよいという。副交感神経が刺激され、血流が増え、体は内側から温まり、湯冷めもしにくい。安眠や疲労回復にも効果があるそうだ。

今日は風呂の日だという口実で、微温浴でも楽しんでいただきたい。

――と、ここまで書いておいて何だが、
実は、今日の本題は、風呂とはまったく関係がない。

「黒字リストラ」という言葉をご存知だろうか。
収益は好調、業績も申し分ない。にもかかわらず、人を切る。

最近、そんな大企業が目につくようになった。報道によれば、ある大手電機メーカーで、50代の課長職に対し「あなたの能力を生かせる仕事はない。残るなら自分で仕事を見つけろ」と迫り、事実上の退職強要が行われた。横浜地裁はこれを認定する判決を下した。

電機産業では、国際競争力の低下を背景に、2010年代以降、事業再編と称した黒字リストラが常態化している。昨年もパナソニック(4日に1万2000人のリストラを発表)三菱電機などで同様の動きがあった。

この流れは、電機産業に限らない。東京商工リサーチも、黒字企業による人員削減の増加をまとめ、注目が集まっている。

かつての日本企業は違った。不要と見なされた人材がいなかったとは言わない。しかし、窓際に追いやられても、雇用は守った。会社は「人を抱える」覚悟を持っていた。

それが今はどうだ。黒字だからこそ、次の成長のために切る。「役に立たない管理職は不要だ」「残りたければ学び直せ」そんな合理性が、さも正義のように語られる。企業の論理として、分からぬでもない。どんな優良企業でも、成長を続けるには組織の新陳代謝が必要だろう。しかし、ここは立ち止まって考えねばならない。

黒字である。
それは、誰のおかげなのか。今ある利益は、昨日今日入った若手だけで生み出されたものではない。不器用でも、時代の変化に戸惑いながらも、現場を支え、会社を今日まで連れてきた人間がいる。

黒字だから「もうお前はいらない」と言うのは、歴史の否定である。赤字であれば、痛みを伴う決断もやむを得ない場合がある。だが、黒字のうちに人を切る。それは経営の巧拙以前に、品格の問題だ。

人を切る前に、使いこなせ。
活かし切れないのは、経営の怠慢である。
それができてこそ、経営判断であり、経営者なのだ。

私は断言する。
黒字リストラを平気で行う企業が、この先20年、30年と持続的に繁栄することはない。現に、日本の電機産業はどうだ。人を切り続け、技術を外に流し、気がつけば競争力を失っているではないか。

一方で、日本には200年以上続く企業が3000社以上ある。500年企業は124社、1000年企業は19社。それら長寿企業に共通するのは、「人を大切にする」という、ただそれだけの、しかし揺るぎない姿勢だ。

「おれが、おれが」を捨て、
「おかげ、おかげ」で生きる。

黒字だから不要になれば切る。そんな傲慢な経営陣を抱えた企業が、長寿企業の列に名を連ねた例を、私は一つも知らない。冷水の風呂にでも入って、頭を冷やしやがれ。そう言いたくなる。

人を切る前に、己を省みよ。
それができぬ経営に、未来はない。

今日は風呂の日だ。
湯に浸かり、身体を温めるついでに、
人を大切にするとは何か、
経営とは何か、少しばかり、考えてみてはどうだろうか。Goto

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