特会という別棟

母屋でお粥、別棟で好き放題、はなぜ放置されたのか

高市首相が総選挙候補者応援で来岐した。木曽川沿いの河原に5000人以上の有権者が集った。大変な人気である。首相は聴衆に向かって、特会にメスを入れると何度も絶叫した。首相の言う「特会」とは、特別会計のことである。

国の財布は一般会計と特別会計に分かれているが、国民が日常的に意識するのは前者だけだ。後者は巨大で、複雑で、そして見えにくい。だからこそ、政治の胆力が試される。

小泉内閣で財務大臣を務めた**塩川正十郎**は、特会をこう喝破した。「母屋でお粥をすすっているのに、別棟で好きなことをやっている」名言である。国家財政の歪みを、これほど端的に言い表した言葉は少ない。

ではなぜ、歴代内閣はこの別棟に手をつけられなかったのか。理由は三つある。

第一に、利権と既得権の集合体であること。特会は特定目的のために設けられ、官庁、業界、政治が長年かけて絡み合ってきた。そこにメスを入れることは、自民党の支持基盤そのものを切る行為になる。

第二に、制度が難解すぎることだ。延べ四百兆円とも言われる規模は、重複計上を含む数字で、実像が見えない。政治家が正面から説明し、国民的議論に耐えるだけの整理を、誰も本気でやってこなかった。

第三に、危機が先送りできたからである。国債でつなぎ、景気が持ち直せば忘れる。その繰り返しの中で、特会は聖域となった。今も・・・

高市首相が特会に言及するのは、増税の前にやることがあるだろう、という正論である。一般会計だけを見て「財源がない」と言うのは、国家経営としてあまりに短絡的だ。ぜひ、やって欲しい。

だが、私は懐疑的でもある。たとえ自民党が大勝し、安定政権を得たとしても、本当に特会にメスを入れられるのか。別棟に踏み込めば、必ず痛みが出る。官僚機構との軋轢、業界の反発、党内の抵抗。強い政権ほど、波風を立てたくなくなるという逆説もある。

**小泉純一郎**が構造改革を掲げた時代でさえ、特会改革は中途半端に終わった。郵政という象徴的な改革はできても、財政の奥の院には踏み込めなかった。

それでも言わねばならぬ。特会を語らずして、財政再建も、成長戦略も、防衛力強化もない。母屋で粥をすすり続ける覚悟があるなら、別棟の戸も開けるべきだ。

政治とは、見えない場所に光を当てる営みである。高市首相がその覚悟を持つのか。私たちは、喝采よりも、冷静な注視を選びたい。Goto

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