読者を裏切った『夏帆』
私はかなり怒っている。いや、相当にだ。
なぜか。2600円もの大枚をはたいて買った、新潮社刊、三年ぶりとなる村上春樹さんの長編小説『夏帆』が、私にはあまりにも中身の薄い作品に思えたからである。
今月上旬、新聞の書籍広告を見た。「春樹ファンなら買いなさい」「春樹が嫌いな人ほど読んでほしい。初めて女性主人公を描いた意欲作」――そんな宣伝文句につい心が動いた。
本当は買うつもりはなかった。
前作『騎士団長殺し』も「最高傑作」と持ち上げられながら、私には何を伝えたいのか最後まで腑に落ちなかった。「もう二度と村上作品は買うまい」と固く誓ったのである。
それなのに、また買ってしまった。
そして、読後に残ったのは落胆と徒労感だけだった。不快指数120%。本を読み続けてきた人生で、「しまった」と思った作品は少なくない。しかし、それでも作者には何かを学ばせてもらったと感謝してきた。
だが、『夏帆』だけは違った。
私は2600円という価格に見合う価値を見いだせなかった。作品の価値以上の価格を付け「村上春樹だから売れる」という驕りが、出版社にも作者にもあるように思えてならない。本を愛する読者への誠意が感じられず、裏切られた思いでいっぱいである。
とりわけ気になった点が二つある。
一つは、お決まりのクラシック音楽の場面だ。主人公が父親のレコードを取り出して聴く場面が後半にあるが、物語の必然性が乏しく「私は音楽に詳しい」という作者の知識を披露するためだけに挿入されたように感じた。作品世界を深めるというより、過去の成功パターンをなぞっているだけではないか。
もう一つは、ゴシック体や強調表現の多用である。「ここが大事だ」「ここを読め」と作者が読者に指さしているように感じてしまう。本来、小説とは、読者が自ら感じ取り、行間を味わう芸術である。強調しなければ伝わらないのであれば、それは文章の力ではなく、説明に頼っていることにならないか。私はそこに、読者への過剰な誘導を感じ、違和感を覚えた。
もちろん、この作品を高く評価する読者もいるだろう。文学の評価は人それぞれである。
しかし、私はあえて言いたい。
村上春樹老いたり。かつて世界中の読者を魅了した独創性や緊張感は薄れ、過去の作風を繰り返しているようにしか見えなかった。実は私は、村上春樹作品をほぼすべて読んできた。だからこそ、誰よりも期待し、誰よりも落胆したのである。
好きだからこそ厳しく言う。
これが現在の村上文学なら、私はもう次作を待つことはないだろう。Goto


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