新聞観

社会人としての、一般教養はどこで身に付けるつもりですか?
昨日から新聞週間が始まりました。IT企業を立ち上げて、頑張っている若き経営者の新聞観を抜粋します。(読売新聞6日付より)新社会人諸君は、噛み締めて読んでみて下さい。
ビジネスの相手が社会常識的な話題も知らないようだと「新聞を読んでいないんだな」と思ってしまう。
「その時点でビジネスの話をするのをやめたくなる」(無教養は仕事相手にされない)
「社会人になり新聞を毎日読むようになったが、受身の姿勢で読んでいて、面白いとは感じなかったが
仕事が面白いと思えた頃。無味乾燥に捉えていた新聞を興味を持って読めるようになれた」(社会知識が身に付けば仕事も面白くなる)
「日々のニュースはインターネットで見ているが、新聞に必要なのは解説や読み物。
教科書よりも参考書の役割を期待している」(参考書を読まなければ応用問題は解けない)
「広告会社をやるには、あらゆることに興味を持たないと成り立たない。新聞には即効性より記事の背景にある記者の考えや事実を探究しようとする尊い精神がある。新聞を読む人と読まない人では、知的レベルに大きな差がでると思っている」(新聞を読まない広告屋は広告の仕事をする資格がない)
「ネットで知りたい情報はいくらでも手に入るが、一般教養は新聞を読まないと身に付かない。
自分が未熟だと認めるなら、新聞を読んで欲しい」(努力しないものに明日はない)
私の尊敬する方(イビデンの中興の祖)が「私は新聞を読むのも取るのも辞めたよ」と。どうしてですか?「80歳になって社会の一線から身を引くには、新聞を読まなくなることが一番手っ取り早い」と、しみじみ語っておられたのが心に残る。
社会の一線で生き抜くには、新聞を情報源に「己を磨き続けなければ」成り立たないのだと。
中興の祖と若きIT企業経営者の生き抜ぬく道程には、独特の新聞観があるのが分かる。
このブログの目的は、「新聞を読もう」です。新聞を読まない先輩を見習ってはいけません。
新社会人として第一線で活躍しようと思えば、新聞の価値を理解すべきです。
                                         Goto
P1030198.JPG
4/6読売新聞

コメント