翻弄(ほんろう)

ことは食・命の問題なのだが・・・・・・・。
懐古趣味はまったくないが、面白い16ミリフィルムが見つかった、との記事が目に止まったので。
フィルム制作は1954年(昭和29年・18分のモノクロ音声付)の55年前。舞台は岐阜県瑞浪市。
タイトルは「粉食の村」(粉飾ではありません)(笑)。
内容は、コメ不足の時代「米ではない安いパンを食べよう」と粉食(パン)の良さを強調するもの。
「60kgで4千円する米に比べ小麦は3千円。しかもカロリーは小麦の方が高い。さらにその差額で、鶏卵が100個買える」「パンはまとめて焼いて保存でき、農作業の時間も長くとれる」と良いことづくめ。
このフィルム、一体、誰が制作したのか?記事には触れていないが。地元の名士や役人らしき人物が登場するところから察すれば、大方、農林省推奨の映画として全国の農村で上映されたのでしょう。
なぜ岐阜県瑞浪市(現)の釜戸村が選ばれたのかも不明のようで。記事には、時代背景を知るには貴重なフィルム。秋のお祭りには、お年寄りに見てもらい、情報を収集するとのこと。
米が不足の時代には、パンを食べよと。啓蒙活動に躍起になり。
普及が浸透し、粉食文化が定着。米が余れば、今度はもっと、米を食べろ。と為政者は言う。
それでも米が余れば、今度は、減反政策を農家に迫り、「補助金を支払い」、生産調整する。
最近では、農水相が、農政改革特命チームを立ち上げ、「減反選択性」(減反政策の見直し」を掲げる。
この50余年、農業政策はブレ続け、農家は政治に翻弄され、本質を見失ってしまった。
二千有余年の歴史を有す農耕民族が、生産の減点である米を翻弄すれば、その報いが来るのではないか?私にはわからないが、天を甘く見ているような気がする。心配だ。
はたまた。ここに来て、農業振興が、この国の閉塞感を脱する一つの道だと、煽り始めているが。
果たして、それが正しいのかどうか?ことは「食・命」の問題だ。眉に唾して考えねば・・・・・
また、為政者に翻弄されるのではないか。と、思いつつ。
55年前のフィルム「粉食の村」の記事を何度も読み返している。
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