「命」とスポーツの祭典

広島・長崎での五輪は必要でしょうか・・・・・・・。
平和への願いに国境はない。全世界143ヶ国、3147都市が加盟する世界平和市長会議。その総会が今年の8月長崎市で開催され、その行動計画に、被爆地に20年五輪誘致が組み入れられた。
それを受け、広島、長崎両市長が、五輪招致委員会を立ち上げると発表。大きな話題となっています。なんでも、かんでも、ブログに取り上げるのか?と、批判されるのを承知で、一言。
東京五輪誘致が選考漏れになったのは、いた仕方ない。五輪の輪は、世界の五大陸を意味するのですから、南アメリカ大陸で初めての開催と、08年のアジア・中国に続いて東京では、評価のベースが違う。私も、リオ(ブラジル)が妥当だと思いました。(大方の心ある人はそう思っているでしょう)
JOC(日本オリンピック委員会)では、東京五輪誘致落選の総括も済んでいないのに、広島・長崎が手を上げるのはおかしいとの声も聞かれますが、私的には、総括などする必要はないと思います。
そもそも、東京で開催する狙いが曖昧。環境をテーマにしたのは後付。最初はコンパクトな五輪、経費の掛らない五輪だったハズ。あれだけ民主党を批判していたのに、鳩山さんを強引に・・・・。
最初の投票でパージされなかっただけでも、関係者の努力は評価されるべきだが。
無謀な旗振り役を演じた石原都知事の責任は重いといえます。
知事の残り任期も一年半。都議会も民主党が与党。それに五輪落選。これではレームダック。このままでは、首都の健全な運営もおぼつかない。時代の変化は激しいものがあります。この際です。任期途中ですが、辞任されるべきだと思います。それが、最も分り易い総括ではないでしょうか。
で、広島・長崎の「核兵器廃絶・被爆地で平和の祭典を!」五輪招致に付いてですが、20年は、アフリカ大陸で行われるべきではないかと思います。例えば、南アフリカが手を上げれば、それが、一番だと思います。
スポーツを政治的に利用しないほうが良い。でもオリンピックは政治的に利用されてきた。核兵器廃絶を願って、被爆地で五輪を開催するのは、一見、崇高な理念に基づき、非政治的に思えるが・・・・・。
果たして、そうでしょうか?私はそうは思えません。反戦の名の下に五輪(スポーツ)を政治利用する以外のなにものでもない。これでは・・・・・・・。露骨過ぎます。
五輪は、日本も韓国も、中国もそうであり、ブラジルが、また、そうであるように、先進国を目指す途上国の登竜門との面もあります。それを政治的とも言うのですが。
そう考えますと、果たして、日本の置かれている状況から、この国に、国を挙げてのスポーツイベントが必要かどうか?大いに疑問です。
広島・長崎が五輪誘致に手を上げるならば、世界平和市長会議に加盟する143ヵ国と世界3147都市が、こぞって支援するなら、今までの五輪とは違った意味を持つ五輪になると思いますが・・・。
オリンピックはスポーツの祭典です。国際的、社会的、歴史的背景がどうであれ、スポーツの腕を競い合うアスリートのための大会です。平和が一義的ではないハズです。
どうしても、五輪をと言うのであれば、非核国のみによる「核兵器廃絶・世界平和スポーツの祭典」を新たに創設して、核保有国に圧力をかけてはどうでしょうか?いや、むしろそうすべきだと思います。
その新しい国際的なスポーツイベントなら、広島・長崎を開催地にする意味があります。
私には原爆で亡くなった人の命とスポーツの祭典が、どうもそぐわない。
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