「板垣死すとも、胸像は消えず」
今年は、十数年ぶりに、二度、岐阜公園を訪ねました。友が遠方より訪ね来て、天下を睥睨する岐阜城にロープウェイで登る際、発着場がある公園を通過したと、言ったほうが適切ですが。
岐阜公園は私が通った小学校区にあり、遊び場の一つでした。戦前戦後を通じ、近在の子供にとっても唯一の華やいだ場所。小中学校の遠足地でもあり、連日賑わいを見せていました。
敷地内には、川魚を集めた小さな水族館(夏場など、館内はひんやりして、悪ガキの溜り場)やライオンや虎、猿、ペンギンまでいる動物園がありました。
飼育係が同級生のお父さん。動物たちの生態について興味深い話を、目を輝かせて聞かせてもらったものです。それに県立の図書館もあり、通いましたが、静かに本を読むなんてことが出来ず、よく叱られたものです。
岐阜公園での必見は、昆虫の博物館(世界最高峰の昆虫標本が整っています)と、張子の大仏です。(日本3大仏の一つ、奈良は金属。鎌倉は石、岐阜は竹と紙でできています)
昆虫の博物館と大仏様は健在ですが、図書館も水族館も動物園も、果実の話です。
いやいや、子供の頃遊んだ、金華山麓の岐阜公園を懐古しているのではありません。
二度訪ねた岐阜公園で、二度とも心の隅に引っ掛かる妙な、違和感がありました。
その違和感は、板垣退助(明治15年、自由民権運動の指導者。岐阜公園付近で遊説中、暴漢に襲われ刺殺された)の銅像が、子供の頃のとは、違うのでは・・・・と心に引っかかったのです。
その違和感が、解決しました。それは、12日付地元紙に、「板垣退助の胸像、岐阜公園で発見」との記事を読んで、そうだったのかと氷解しました。
記事によりますと、板垣の銅像は1918年(大正7年)に建立。戦時下の金属供出で回収(これでは、自由が死ぬはずですね)、その後、コンクリート製の胸像に置き換え(制作日不明?)られた。
現在の銅像は50年(昭和25年)に建立。その際、取り換えられたコンクリート製の胸像が、公園の片隅で放置されているのを、市歴史博物館の学芸員が偶然発見したと。
そうだったのか?違和感は、銅像が変わっていたのではなく、銅像の位置が、変わっていたのだ。その元の位置に、人間の形をした、コンクリートの塊があり、それを横目に遊んでいたんだ。。。。。と。
でも、そんなに広くない公園。コンクリートの塊とはいえ、58年もの間、放置されていたとは、驚きです。
まさに「板垣死すとも自由は死なず」、「板垣死すとも、胸像は消えず」ですね。
子供のころの岐阜公園で遊んだ日々が、走馬灯のように蘇り、感慨深いものがあります。
Goto
10/12岐阜新聞
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