3月14日付け、中日新聞「核心」欄を読んで・・・・・・。
アメリカのABC(放送局)はトヨタ車の急加速を、実際の運転中に再現したとされる2月下旬のニュース番組を画像を入れ替えて「謝った編集をした」と認めました。(こんなことって、許されるのでしょうかね)
さらに、3月に入ってからもカリフォルニアの高速道路で「アクセルペダルを踏み込んだ状態で戻らなくなり、急加速した」などと警察に通報した男を主要メディアが一斉に報じました・・・・。が・・・・。
日を経ずして、米メディアは「男性のプリウスにはブレーキを踏んだ痕跡がない」「最近自己破産して、車のローンが残ったまま」だと明らかにした。男の弁護士も「トヨタを提訴しない」と弁明したと・・・・・。
中日新聞では元GMの弁護士が「1980年代にはドイツのアウイディが、90年代にはGMが急加速で指弾され、いつも謎めいた欠陥が言い立てられる」と指摘「メディアはもっと慎重になれ」とトヨタに批判的なロサンゼルスタイムズ紙に苦言を呈したと「核心」コーナーで書いています。
ここ数カ月に及ぶトヨタ騒動。社長が米議会の公聴会で現状を報告、問題点を整理し、改善の試みを約束しました。私には、そもそも、何が問題だったのか?さっぱり理解できないまま、これで終わるのかと思っていました。
が、実は、映画のように、背景で何かが動いていて、メディアを利用して、なんの問題もないトヨタを陥れようと企てたようです。しかし、トヨタ側の毅然とした態度によってその欺瞞性が徐々に証明されつつあるようです。
この騒動、大体の顛末は、ご想像の通り。小さなミスを安全の美名のもとに、針小棒大に報道して、日本車と日本をパッシング。米国の自動車産業の優位性を誇示しようと企んだのが落ちのようです。
私は、そもそも米国と言う国は、目障りなモノを潰すためには手段を選ばない国だと思っています。しかし、一方では、アカデミー賞を「ハート・ロック」(イラク戦争の批判)が取ったように、体制の恥部にも平気で切り込める国でもあると思っています。
それを、フリーの国と言うつもりはありませんが。トヨタが、この攻撃に必死に防衛、自社の商品に自信と誇りを持って、屈せず耐えたことを高く評価したいと思います。
が、それに引き換え、日本はどうですか。見殺しにしようとしました。国交省はトヨタの社長を呼んで「厳重注意」。何に対して、何を注意したのだろうか?安全か?それともメディアに煽られて、ヒステリー化した国民の代弁をした積りなのか?だとすれば、何と愚かな政府か?
それと、日本のメディア。地道な取材もせずに・・・・米国の報道を垂れ流すだけ・・・・・・。それでもジャーナリズムかと問いたい。それに、トヨタを批判した評論家やテレビのコメンテーターの酷さは国賊と呼んでも良いのではないだろうか。(かなり古典的な批判ですが)
この問題が、もう少し、落ち着いたら、あらゆるメディアを検証して、トヨタ批判を繰り返した軽佻なメディアと評論家どもには正確なレッテルを張って、見識を問わなければならないと思います。
でないと、この国は、作為的な報道に煽られますと、直ぐに、集団ヒステリーになり、前後を見失ってしまいます。こんな、野放図な報道を赦していたら、国民が、メディアに煽られて、自分で国を滅ばすと言う悲劇が起こりかねません。
中日新聞「核心」欄の最後にも、「米国ではトヨタ「欠陥」関連の死者は50人以上とされ、苦情は現在も増え続けているが、真相究明への期待はしぼみつつある」と、もっともらしいですが、やはり、トヨタを批判して、正義ぶって、読者を煽ってます。
私は、言いたい。世界中で起こる車の死亡事故は、すべて、自動車メーカーの責任なのかと・・・。
安全は、企業に損害を与え、国の経済を疲弊させても許される正義なのかと・・・・・・・。
少なくとも、米国は自国は国民が守る国です。
だれが、日本を、こんな身勝手な集団ヒステリー国家にしてしまったのか・・・・・・。 Goto
コメント
コメントありがとうございます。
まったく同感でございます。愚直なまでに真摯な態度で臨む。その姿勢こそ世界に通用するのだと、改めて勉強させて頂きました。
ただ。問題は日本のマスコミと軽薄な評論家、コメンテーターと称する輩です。批判することで成り立つようなビジネスが存在することが、何とも歯がゆい思いです。これも民主主義なんでしょうが?最近は、民主主義って本当に正しいのか?大いに疑問に思います。 ありがとうございました。今後とも変わらぬご指導お願いいたします。 Goto
私は今回の騒動に対して、起こって良かった(?)と思っています。
逆説的な言い方かも知れませんが、この試練を乗り越えれば、トヨタは実質的な自動車企業になれるでしょう。
仮に本当にソフトの欠陥であったとしても、愚直なまでに誠実に対応する…、非も率直にお詫びする…、補償にも極力応じる…、欧米の論理なんか
真似る必要もありません。
たとえトヨタに、企業として組織の硬直化があったとしても、顧客に揉まれて成長してきた会社ですから、日本の政治家や役人ほど腐ってはいません。
まだまだ、豊田自動織機自動車部創設当時の豊田喜一郎の精神や、長年培った技術力は、トヨタには健在です。
三河のトヨタから、日本のトヨタまでは会社も成長しましたが、世界のトップ企業として振舞うには、もう一つ、『何か』が欠けていた。
その『何か』が、今回のパッシングから見えてくるはずです。
欧米企業の対応とは一線を画し、日本独特の企業アイデンティティを自信を持って示しこの問題に対処ことが、トヨタの更なる躍進に、ひいては日本の製造業の復活に繋がります。
トヨタに本当に頑張って欲しいと思います。