新聞の有様

「新聞なき政府」と「政府なき新聞」・・・どちらを選ぶか?
大震災・・・メディアの総力取材のお陰で・・・私達は被災地の状況をある程度、正確に知ることができています。原発がどうなるのか・・放射物質を抑え込めるのか・・もしかの場合・・・どう対処したら良いのか?心構えもできつつあります。これらは、新聞の力に負うところが多いと改めて認識しました。
震災に対する思いから離れて・・新聞の有様について考えて見たいと思います。
メディアには人材がいるものだと米国のジャーナリズム大学院に留学経験のある中日新聞特別報道部記者のコラムを読んで再認識しました。(3/8付け夕刊)
私がこのブログを日々書き続けているのは、もし新聞なけれせば、社会は暗黒になると思っているからです。新聞を読もう。そのためには読む価値のある新聞を作って欲しいと心から願います。
コラムでは、米国新聞事情を「全国各地でネット普及により新聞の廃刊が相次でいる。その弊害が、政治が活力を失い。権力監視が弱まり汚職が多発している等、社会問題となっている。」また、「新聞が担っている、地域の問題を取材し、伝える手段がなくなることは民主主義の危機」だとも述べています。
私もその通りだと思う。「新聞なき政府と、政府なき新聞のどちらを選ぶかと問われれば、後者を選ぶ」と名言したのは米国三代大統領ですが、その新聞も、世界を見渡せば・・・昨今の中東紛争などに見られるように、新聞の影響力はネットに取って変わられています。
米国ではネット新聞が急速に普及。コラムでは既存の新聞はスーパーのようなもの。ネット新聞は専門店、新聞ビジネスとはなじまない、競合ではなく協調の道を探るべきではと、述べていますが・・・。
ネット新聞と向き合う前に、新聞界には優秀な人材が揃っているのですから・・・日本の新聞は新聞なき政府でも、政府なき新聞でもなく「新聞ありて政府なし」を反省すべきではないでしょうか。
大衆にとっての耳障りの良い記事が新聞購読を減少させていることに、気付くべきではないでしょうか。(政治のマニフェストが、国民の政治不信を招いているように)大衆迎合の新聞づくりを反省し、「市民を啓蒙」するというジャーナリズム本来の姿勢に立ち返るべきだと思います。
優秀な人材がそろうメディア界・・・・若い記者のネット社会を見据えたコラムを読んで・・新聞の役割と重要さに改めて認識させられました。 Goto

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