選手宣誓

感謝や感動を与えるってことは、簡単なことではありません。
私もモノ好きなんですが、なでしこジャパンとドイツとの試合、午前3時に目を覚まし、ライブで観戦してしまいました。同時に中継された全米女子オープンの宮里藍、美香両選手のワンツーフィニッシュの予選での活躍も。
この国は、有無を言わさず、女性の時代に入ったと、自覚すべきだと、自覚しました。まだ、自覚できない、企業や社会は、もはや、最大不幸な組織になるのではないでしょうか。
なでしこジャパンとドイツの試合。後半戦からの審判判定、延長戦でなでしこが、得点してからの、異常なまでのドイツを勝たせるための偏見差別的なルール運び。サッカーなんてスポーツは、フェアでもなければ、ルールを尊重するスポーツではないことも再認識、再確認しました。
でも、それでも、一言の抗議もなく、ふてくされるでもなく、ただ、ひたすら、ボールに食らい付くなでしこ達の姿は、日本人の心を熱くしました。東日本大被災の被災者の人たちが、この明方の試合を見ていたとするならば、間違いなしに、手に汗し、負けてたまるかと、自らを奮い立たせたに違いありません。
土曜日、私のウォーキングコースである岐阜メモリアルセンター内の野球場でも、全国高校野球選手権大会の岐阜予選開会式がありました。朝の6時過ぎから、大変な人出、高校野球人気にびっくりしてしまったくらいです。
日曜日の新聞(朝日)に目を通しますと、全国各県で一斉に予選が始まったようですが、どこの予選開会式でも、選手宣誓に、東日本震災のことが触れられるのにはビックリしました。
私がへそ曲がりなのかも知れませんが、高校生が青春を白球に賭け、ひたすら甲子園を目指す、ひたむきな姿に、感動する私としては、最近の選手宣誓が関係者への「感謝」を強調したり、被災者に感動を与えたいなどと、優等生ぶった宣誓をするのに無性に違和感を覚えます。
人を本当に感動させるなんてことは、そんなに簡単なことではありません。感謝するってことも、そんなに軽々しいことでもありません。なぜなら、される側がなんとも思っていないからです。
スポーツ如きで、人が感動したり、感謝する気持ちになるのは、アウェーで、観客のみならず、レフリーまでもを敵に回して、それでも、泣き言一つ言わず、弾き飛ばされても、必死にボールに食らい付き、そして、勝ってこそ、であります。
高校生が変に大人ぶって、感謝するとか、感動を与えるとか言わない方が感謝することだし、感動を与えるのだと、知って欲しいと思います。芯の強い人は、軽々にそんなことは言わないモノです。
高校生は高校生らしく、フェアプレーで白球を追いかけると言えば良いと思います。必死にプレーするだけで、感動を与えるのですから。14日のなでしこジャパンの準決勝も観ます。間違いなしに感動できるからです。 Goto
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