広告は顔だ。で理解できました。
失礼ながら、広告界の超大物。何てったって、彼の広告批評が社会を写す鏡である広告を映すのですから。そりゃ。田舎の広告屋のおっさんとしても、権威の象徴。いや。敬意の的です。
朝日新聞に毎週書いておられる広告批評的、ちょっぴり皮肉っぽいコラム。CM天気図。毎回楽しく拝読。いつも頷きながら。でも、どこか。違和感を感じていました。
2/1付の「顔は広告だ」を読んでその答えが出ました。いまは「日本の再生」が待ったなしの切実なテーマである。が、テレビに出てくる政治家の顔をいくら見いても、原発に依存しない、成長にこだわらない、これらの暮らしを語るようなメッセージは、まったく見えてこない。
と政治家の顔を批判されています。また、ユニクロやコンビニで買い物をしたり、Suicaで電車に乗ったりすることなんて、まるでなさそうな顔ばかりと、生活感がないのが政治家だと断定されています。
なるほど。天野大先生になぜ、違和感を持ったのかがこの政治家の顔批評で、理解できてしまいました。要は、天野大先生。政治音痴なんだ。政治のことなど何も分かっていないのだ。今時の政治家で、ユニクロも、コンビニも、Suicaも知らない、生活感のない政治家なんて、一部のボンボン二世ぐらい。
大半の政治家は、政策ビラの印刷代にすら事欠く庶民そのものが現状。そんな実態はまったくご存知ない。それから、原発に依存しない、成長にこだわらない政治家でなければいい顔がでないおっしゃる。
驚きです。広告は経済の先兵じゃないですか。経済を活性化させるのが広告の主な役割。だから、大先生は、コラムでBOSSとか、白戸一家で、広告効果を高く(異常に)評価されているのではないですか。
その経済を成長にこだわらない社会を目指す政治家でないと顔が悪とおっしゃる。それって。
自己矛盾じゃないでしょうか。大先生の自己矛盾を読まされていることが、違和感の理由だと理解しました。
各申す。私の顔。最近、温和になったと言われます。多分ですが、自己矛盾がなくなったからではと、思っています。Goto
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