日本の農業を舐めてはいかんねぇ。
「こんなのが、とれたでぇ」「30年イチゴやっとるけど、始めてや」と濃姫(戦国武将・斎藤道三の娘で織田信長の妻)と名付けられたハウス栽培のイチゴを農家の方から頂きました。(写真参照)私の手のひらから溢れるジャンボサイズです。
「改良、改良で甘い品質になってるよ」「こんなデカイのは始めてだが、もう少し、改良すれば、かなりできるんじゃないか。」とも。こんなのができれば、いちご革命だね。この一番デカイのは、尊敬するあのひとに食べてもらおう。こっちの、ちょっと小ぶりをいただきます。
甘いねぇ。いちごなのに、かじって食べるって感じだ。
農業の現場を知らずして、農業問題を語るのは不遜なのかも知れませんが、専業農家の話を伺いますと。何処かがねじれている気がしてなりません。
まず農家の現状認識。高齢化と後継者問題は深刻だ。早晩成り立たなくなる。戸別所得補償制度は中途半端で意味はない。画一的な補助制度は限界、地域事情に合致した柔軟さを。大規模化、工業化は急務だ。TPPは改革のチャンス、反対すベキではない。兼業農家と専業農家の区別が必要だと、かのイチゴ生産者は。
将来に備え、旧村(平成の合併で市になっているが)の専業農家の仲間と農業法人を立ち上げ、農業が日本の基幹産業であるとの認識のもと、着実に次なる手を打っているとも。にも拘らず。なぜ、農業の悲観的な話ばかりが聞こえてくるのだろうか?ねじれている。
たぶんですが。農家の実態。農業の現場を理解せず、農家を票田としてしか見ない政治家が、困窮する農家を救うのは自分たちだと勝手に誤解し、古典的な価値観で保護政策をぶち上げ、それが、大きな声になっているからではないだろうか。
日本の農家を舐めてはいかんね。改良の意欲は現場に充満している。と、いちごをほうばりながら、しみじみと思う次第です。それにしても、デカイいちごだなぁ。Goto
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