時間

絶対的平等だから無駄にはしたくない。
世の中、不平等だらけ。納得できないことが山ほどあります。小泉政権当時、規制緩和が進み随分、緩和されましたが。取り分け、既得権益に守られ、安穏と事業ができる業種には、理不尽さを感じます。別段、免許事業などを糾弾しようってわけではありません。
人間には二つの絶対的平等があります。一つは申し上げるまでもありません。死です。この世に生を受けたるものはかならず朽ち果てます。如何に強欲に不老長寿を求めても、死は絶対です。誰にも避けることができません。その意味で、絶対的平等です。
もう一つは、時間です。物事の処理能力がずば抜けている人でも。なまくらで、凡庸な生活を繰り返す人でも。時間は平等で、誰もが24時間です。その意味では時間も絶対的平等です。ただ、時間は有効に使うことも、無駄に使うことも、自由であります。
若い人は、平均寿命まで、まだまだ、時間があると思っているかもしれません。私のように、前期高齢者に近くないますと。残りの時間があまり無いのに気づきます。折角、与えられた時間。大切に使わないとソンだという気持ちになります。
こんなデータがあります。
小中学校の授業時間。年間で800時間程度。道徳や学活や体育の時間を含めて。主要教科の授業は400時間足らず。にも拘らず、一日に3時間以上テレビを見る学生が80%を越すそうです。年間で1000時間以上になります。
時間は絶対的平等です。口をぽかんと開けてテレビを見る時間。必須科目を学ぶ時間。どちらを優先するのが不平等に抗えるのか。答えは明らかです。残り時間が少なくなったから、こんなことを書くのではありません。折角の命。理不尽に敗けたくない。だから、絶対的平等を有効に使いたい。そうなんです。時間を無駄にはしたくないと思っているだけです。Goto

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