ACジャパン

広告のありようについて若干の考察
別段・・・競ってる訳ではないのですが。「やられた。しまった」ってムキにきになってるのが、大先輩・希代のコラムニスト天野祐吉先生が朝日新聞にお書きになっている7/17付コラム「CM天気図」の内容・・・
私が、7/6付朝日新聞に掲載された「ACジャパン」の広告(写真参照)を読んで(文字が多くて、読むのが大変で途中まで読んでぶん投げたまま)ブログネタに使って見ようと思っていたのに・・・大先生に先を越され、コラムネタにされちゃって後手を踏んで「やられた。しまった」と・・
ですから。大先生のコラムと私が書こうと思った内容との違いを「後出しジャンケン」みたいですが、書いてみます。
大先生のコラム。大震災の直後、大量に流れた「エーシー」広告。奇妙な音だけ覚えている人が多いだろう。そのACが40年以上、広告を通じて社会にメッセージを発信し続けてきた。そんな自分たちの活動をもっと知って欲しいと自己PR広告を始めた。
広告は1000を超す民間企業や団体がひとつになって「この国に活気を」とか「世界の子供にワクチンを」とか「地域から元気に」など様々な公共広告活動を仕事としてきた。広告の持つ力で商品やサービスだけでなく、公共問題にも人々の目を向けさせた歴史だと、胸を張る。
でも、公共広告というからには、大震災の瓦礫の処理や、放射能汚染問題など切実な問題をもっと扱って欲しい。あまりそういう問題を取り上げないのは構成員である企業への遠慮からなんだろうか。これを機会に公共広告の新しいカタチ考えるべきではないか。
災害時には出来合いのCMを流すのではなく、著名人の激励コメントなど、ナマで流すような企画があって良い。非常時こそ、広告本来のジャーナリスティックな精神で人々の役に立ってほしい。そしてあの「エーシー」の名声と音程(語尾)をますます高めてほしい。と結んでいらっしゃいます。
うーむ。私の見解は、企業に配慮して政治的な発言はできないのではとの分析は同じ見解ですが。1971年度のコピー「青い空、青い海とんぼ、どじょっこ、みんな、みんな帰って来い」に始まって40年後の「リレーしよう、自然のままの自然を」までのコピー。
ACに一貫して流れる思想は・・40年前あの淀川長治さんが「私たちの活動は、ひとつひとつ願いが込められています。きっかけを待つのではなく、自ら作っていけるように。つよい想いが、やさしい心を育むように。大切な人をもっと大切にできるように。変わらない思いで、世の中を変えていけるように」と語った理想をこれからもずーと一貫すれば良いと思う。
あの大震災の際。企業がCM放映を止めたのだから。民放的には邪道だが。わざわざ「エーシー」なんて流さなくてCMを止めれば良い。NHKのようにCMなしで報道すれば良い。大先生のように、ACが反原発、憲法改正反対の立場を鮮明にされていれば名声を高めるに抵抗はないのですが。
何事もそうですが、その組織、その役割には自ずと限界があるモノです。私はACはその限界まで頑張っていると思います。ちょっぴり大先生にムキになってますが。・・・・Goto
IMG_1268.jpg
7/6朝日新聞

コメント