働かないことを国民は喜んでいるのでしょうか?山は呆れていますよ。
私は朝夕ふるさとの中心にデンと構える国盗りの山・・・山頂に岐阜城が聳える「金華山」に向って・・・朝は「今日も一日、全ての人が幸せでありますように」・・帰宅時は「今日も一日ありがとうございました」と合掌します。
勿論・・・私の寝室は窓を開ければ、岐阜城が望めますし、「金華山」からは書斎代わりの小部屋を覗くこともできます。岐阜県は海なし県の一つ「木の国、山の国」と唄われる山国。春には山菜を始め山の幸が溢れ。秋にはキノコが食卓を賑わし、冬にはジビエ鍋を囲みます。
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」・・・そんな意義から、新たに国民の祝日として来年から8/11を「山の日」とすることが決まりました。日々、山を愛で、山懐に抱かれて暮らす私としては・・・散々に国土を傷めているその反省もないし祝日とはどうもスッキリしない。
祝日が増えるんだから良いのではと単純には喜べない。8月15日の終戦記念日を国土を焼土と化した反省を込め、山河に平和を誓う・・・そんな意味から「反戦平和を山河願う日」にするならば・・そもそも15日は旧暦の盆で地方の中小零細企業はほとんどが休み。・・・百歩譲って納得できるのですが・・・
なぜなのかとお決めなった国会議員の先生方にお尋ねすると「海の日」があるから「山の日」も。8月には祝日がないから祝日を。それが理由だとお答えになる。呆れますね。国会議員の大半が二世、三世の「ボンボン」ばかり、1日休めばそれだけ生産が落ち、国力が衰退する。企業は活力を減退させるってご存知ないのでしょうか。
働かないことが美徳のような・・・バカな時代を演出しているのが、国会議員だと思うと情けない。祝日を増やす本当の理由は、盆休み絡めて夏休みを長く取らせる。それが大衆が喜ぶことだと、考えたからでしょう。政治家は国民の安寧を願うのが目的であって、「安穏」を推奨するのは迎合と言って、国民を馬鹿にしているのです。
私は山に生かされています。山は私たちを必死で護ってくれています。山は私たちに感謝されたいなど思ってはいません。もっとしっかり働いて、一人ひとりが幸せなってくれと、祈っています。「山の日」なんて、必要ないと思います。Goto
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