ホモ・ルーデンス・・人間は遊ぶから人間であるというが・・・
人間とはなんぞや。哲学的な問いである。
あなたは、自分自身に照らして人間とは何だと思いますか。
生活のために必死であり、そんな悠長なことを考える余裕などない・・
と、ムッとされるかも知れない。
私は人間は働くから人間である。と、思っています。
働き方改革で、労働時間の短縮が問われるこの頃、
馬車馬のように働くのは人間性を失う。なんて言われる時代にはどうかしている・・
と批判されるかも知れませんが、
「人間は働くから人間である」とは時間の問題ではありません。
働くことを厭わぬ人を人は機嫌されることはありません。
なぜなら、自分の仕事と真摯に向き合い、喜んで働く「喜働」することが、
人間の人間たる所以だからです。
オランダの哲学者であるヨハン・ホイジンガは・・・
人間とは「ホモ・ルーデンス」であると述べています。
ホモ・ルーデンスとは「遊び人」のこと、人間は遊ぶから人間であると・・・
これも、働くから人間であると同様に誤解される考え方ですが、
ただ生きるという生存活動なら、動物と同じだ。
日常的生活を超えた次元で、人間のもつ過剰なエネルギーが生み出した
活動様式が「遊び」であり、「遊ぶ」から人間であるという。
それも否定できない人間とはなんぞやの一つであろう。
あなたはスポーツが好きですか。私はゴルフが趣味です。
ゴルフとは遠くのホールにボールを入れる競技です。発祥は英国の牧童たちの遊びです。
どんなスポーツでも発祥は別として、生きるための日常活動とは違う遊びです。
スポーツの語源はディス・ポルト・・・船が停泊する港を否定する。
停泊地から離れる、「はめをはずす」という説があり、
実際英語の「スポート」には「戯れ」や「気晴らし」「ふざけ」との意味があります。
そもそもスポーツとは「はめをはずす」ものです。
第一義的な意義は日常の窮屈な秩序や組織の規則から一時的に解放されて
気晴らしを行う点にある。(朝日・異論のススメ)
スポーツを遣るという行為は人間である、証左とも言えます。
そもそも遊びは「はめをはずす」こと、ルールを破ることも「はめをはずす」反則か。
それも含めて、人間は遊ぶから人間というのか。
現実には自国さえ良ければとする米大統領の保護主義は反則行為です。
統制経済の国が自由貿易を訴えるのもは反則ではないでしょうか。
ネット上のフェイクニュースも反則以外の何者でもない。
日大アメフトの悪質な反則行為に批判が集中しているが、
昨今の世の中、自分さえ良ければ反則して構わない。そんな風潮で社会が動いている。
人間って、何なんでしょうか?Goto
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