政治は国民のレベル以上にはならない。
取り立てて、取り上げる話題でもないのですが。
全国紙各紙が社説でも取り上げるのですから、私なりに考えてみました。
何となくこの国の政治の病巣が見て取れましたので。
読売「1強の緩みが蔓延している」朝日「守り続けた責任は重い」
毎日「半年余も守った罪は重い」日経「年功序列で閣僚になる時代は終わった」
何のことか、お分りですね。そうです。五輪相が更迭された件です。
そもそも論ですが。五輪相などという大臣が必要でしょうか。
五輪は文科省(スポーツ庁)が担当すれば良いではないですか。
五輪は一過性のイベントです。現実は東京五輪組織委員会と東京都が仕事をしています。
その体制で官邸がフォローすれば、何の問題もありません。
内閣改造の度、真っ先にすげ替えるってことは、そもそもどうでも良い大臣ポストです。
つまりは、自民党総裁選の論功行賞人事のための大臣です。
それを朝日は年功序列「入閣待機組」と表現し、「滞貨一掃」と日経はいい。
毎日は「在庫一掃」と書いています。そんなこと、書かなくても国民は分かっています。
私は2点指摘します。
この五輪相、竹下派を脱会、その後二階急増新興派閥に吸収された。
その結果、二階派は自民党第四派閥に格上げ、総裁選のキャスティングボードを握った。
そうなんです。竹下派も二階派も政治は数の論理と権勢を振るった田中派の流れです。
そもそも、五輪相は員数合わせの陣笠議員なのです。
二階派に入会する際、大臣ポストのカードが切られた、その結果の五輪相なのです。
ですから、日本政治は、自民党派閥政治だという証明です。
親分が愛い奴だと思えば、どんなポストでも適材適所なのです。
これで良いのかと、問われば、良いはずはないのですが………
本質はもう一つの点にあります。
政治家を選ぶのは、国民です。政治は国民の民力以上でも以下でもない。
誰が、彼を選んだのか。誰が彼を7期衆院に当選させてきたのか。
本当に問われなければならないのは、彼を当選させている選挙民ではないでしょうか。
政治家が劣化していると、新聞は論陣を張ります。
しかし、現実は政治が家業として世襲化されています。
それもこの国の政治の特徴かも知れませんが、選ぶのは、全て国民です。
五輪相は世襲ではない。叩き上げです。選挙民にはそれが魅力だったかも知れませんが、
この更迭問題はこの国の不治の病巣が露呈しただけです。
如何にも淋しい限りですが。Goto
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