改元から1か月、高齢権力者の思い上がりを排除すべきではないでしょうか。
融通とは滞りなく通ること。無碍とは妨げないこと。
行動や考え方になんの障害もなく自由でのびのびしていること、融通無碍の意味です。
そんなことは「分かっているわい」と目を背けないで下さい。
今日から6月です。令和元年、なんでもかんでも、令和で初の、初めての、との喧噪から1か月。
日本人は熱しやすく冷めやすいのでしょうか、それとも目まぐるしく移る四季に
翻弄されて暮らしているからなのでしょうか、或いはサッカーの国際試合のように、
試合の時だけ意識する、国歌国旗程度の改元なんでしょうか、あまりにも刹那的ですね。
随分静かになりました。
これって、ひょっとしたら、日本を従属国化した、米国の深慮遠謀で、
象徴天皇制という、天皇制否定の日本人の骨格の骨抜き政策の帰結ではないか、
そんな穿った見方もできないではありませんね。
改元の喧噪が去った今、冷静に考えねばならないのは、「新しい酒には新しい袋」では
ないでしょうか。政治だけではなく、人の世には組織があり、そこには権力者が
存在します。この国は超が付く高齢社会になりました。
だからと言って、権力者が高齢化しても致し方ないと、言えるでしょうか。
高齢化をひとつの理由として、退位された上皇の胸の内、「老害蔓延するなかれ」
そんな真相はなかったでしょうか。そこに気付けとの思いはなかったでしょうか。
融通無碍とは行動や考え方に邪念なく、思いのままに突き進め。そんな意味が背景に
あるのではないでしょうか。若い人たちが融通無碍にこの国を、組織を牽引するべき
時代に、それを妨げているのが、「老害」と言われる高齢者の「融通無碍」です。
改元喧噪から1か月。権力にしがみつく高齢者に「ナイト」の称号をあたえ、
世代交代を促す時ではないでしょうか。Goto
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