国民投票、CM規制に意味があるか。
難しい問題だが、一度は真剣に議論しておく必要があるのでは……
ネット時代です。広告市場の媒体費がテレビを抜いてネットがトップに。
テレビや新聞、雑誌といった従来のマス媒体が広告媒体の主力ではなくなりました。
「国民投票」を実施する際、CM、広告の量的規制をすべきか、どうか。
夏の参院選、「安倍首相が憲法改正」を大義に、衆参のダブル選挙を仕掛ければ、
憲法改正の賛否を問う国民投票が実施される可能性がでてきました。
テレビCMや新聞広告を大量に流し、掲載した方が有利になります。
そうなれば、「資金力」が明暗を分けることになり兼ねません。
憲法審査会は、日本民間放送連盟(民放連)を呼んで、意見聴取を行った。
私的には、なぜ、民放連の意見を聞くのか理解できません。
国民投票法が2007年にできた経緯を踏まえ野党側は「量的な自主規制がなされる前提」で
法案が成立した。「前提を変え自主規制しないなら、法案そのものが欠陥法」になる。
と民放連に迫った。
民放連は「ネットやSNSに広告が集中した時にどうするのか」「選挙の際、
政党のCMをみても、政党によって流す量が違う、そこも規制するのか」
ネット広告が有力な宣伝手法となり、広告を出稿する側が媒体を選べる時代に、
放送局が賛否のCM量を揃える意味があるのか。と、ネット時代にテレビだけをと……
そもそも論で、申しますと、放送局は免許制です。殺生与奪権は権力が握っています。
国会で、量的規制をすれば、それを逸脱することはできません。
民放連に意見を聞く意味など無いのです。
そんな乱暴なことはできないとするならば、自由です。
規制など何の意味があるのか。「国民投票」ですから、
思いの強い方が、熱量も資金量も増やすのです。それが民主主義であり、
国民主義の象徴です。賛否両派が死力を尽くせば良いのです。
「憲法改正」のハードルは、世界に類を見ないほど高いから、
日本は、戦後一度も改正していないのです。ここに来て、
資金力で差がつくようでは不公正であると論じることに無理があります。
今、もっとも怖いのは、ネットによる情報操作ではないでしょうか。
フェイクニュースが国を動かす時代です。
憲法審査会も、時代の流れをよく見て、議論して欲しいものです。Goto
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