異例

参院選が影響したとはいえ、安倍首相の英断に敬意を表したい。
国とは一体なんなんだと、思わず叫びたくなる。
国が続けたハンセン病患者の隔離政策によって家族が受けた差別、
家族らが国に損害賠償を求めた訴訟。9日、安倍首相は国の責任を認め、
計3億7千万円の賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れ控訴しないと表明した。
この手の裁判で国が敗訴を認めることは異例。
「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆様のご苦労をこれ以上、
長引かせるわけにはいかない。その想いの下、異例のことだが、
控訴しないこととした。この方針に沿って検討を進めるよう関係大臣に指示した」
安倍首相の発言です。
私は、「異例」に踏み切った安倍首相の英断に敬意を表したい。
実はこの「異例」の意味が重要ではないか。参院選への影響に配慮したのだと、
メディアの論調は手厳しいが、日本は民主主義の国です。政治の根幹は選挙です。
時の政権が選挙を意識して決断したことのどこに文句があるのか。
政治とは、斯くなるものです。
この手の報道ではやはり、朝日新聞がひとつ抜きんでている。
私が理解する「異例」は政府として控訴は譲れないにも関わらず……なのですが。
朝日の場合の「異例」は、あくまでも参院選のための「異例」政治決断です。
同じようですが、実は大きな違いがあります。
それと朝日ですが、過誤できないことがあります。
9日朝刊で、政府は「控訴」すると報じました。これって、全くの誤報です。
9日の夕刊一面で「誤った記事、おわびします」と謝罪した。
なぜ、誤報が掲載されたのか、「複数の政府関係者」への取材をもとにとあるが、
朝日とまともに付き合おうとする政府関係者が政権の中枢なのか。
控訴は断念すべきであるとの朝日立場からすれば、真逆の取材しかできなかったのは、
取材能力が極端に堕ちたのではと危惧する。
いずれにせよ、国家とは国民のためにあるのではないか。
時代考が違うとはいえ「過ちは改めるべき」であり、それが国民ための国家である。
国家として当然の姿が「異例」であることに、国家とは一体なんなんだと思う。Goto

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