国難

社会で子どもを育てる思想を醸造しましょう。
年末に、産休で育児中の女子社員たちが幼子を連れて挨拶に来てくれました。
私にとってはどの子も、孫同然です。
ジィジの顔を見て、キャッキャと笑う姿に、何とも言えぬ幸せを感じます。
私は聞きます。「育児は大変だろ。どうだい」と。すると彼女たちが
異口同音に言うのは「子育てがこんなに大変だとは思わなかった。でも、可愛いです」と。
そうなんです。可愛いが勝つから頑張って子育て出来るんです。
でも、そうですねぇ。月に一度、いや2度は子育てを代わってあげて「お母さん」達を
解放してやれば、もう一人、産んでみようかと思うのではないでしょうか。
安倍首相は2年前、少子高齢化は「国難」であると定義付け、衆議院を解散しました。
「働き方改革」「待機児童ゼロ」「幼児教育・保育の無償化」などの政策を打って
「国難」に対処してきました。
しかし、皮肉にも、その結果、2019年に生まれた「赤ちゃん」は86万4千人と
過去最低になり、出生数を見る限り何のための「解散・総選挙」だったのか?
政治は結果責任です。問われても仕方がない。
一方、高齢化は深刻。死亡者数は137万6千人で戦後最大。
出生数から死亡数を引いた「自然減」は51万人を超えました。
少子高齢化とは人口減少のことです。
年間で鳥取県の人口がゼロになる勢いの人口減少が、即ち「国難」ということです。
人口が減少したら、なぜ「国難」なんでしょうか。そんな質問は愚問です。
戦後、日本が世界に冠たる経済成長を遂げた背景は、戦前8000万人の人口が、
一気に1億2千万人に跳ね上がったからです。議論の余地はありません。
さて、問題はここからです。
「国難」だから、政府が音頭を取って様々な施策を講じても
少子化に歯止めを掛けることはできない。その証明が過去最低の出生数です。
ではどうすれば、良いのか。三つあります。
一つは、やはり政治です。国家予算の使い方を変えることです。
高齢者に回す福祉予算を減らし「子育て世代に回す」ことです。
なぜなら。子どもを産まない理由の5割は「経済的」要因だからです。
「子どもは欲しいのです。可愛いのです。でも育てるのは大変なのです」
それを解消するのは経済的な裏付けです。補償があれば、安心して産めるのです。
「国難」というからには、政治が本気になるべきです。
もう一つは「移民」です。もう待ったなしです。
「国難」なのですから、形振り構わず、腹を括って「移民」から目を逸らさず、
年間、100万人を受け入れるのです。その為の結論を年内に出すべきです。
もちろん、少子化の責任は「日本社会」にあるのですから、その覚悟をすべきです。
もう一つは、企業で子育てをするのです。
子育て推奨企業の法人税を20%に半減するのです。
「子ども」を社会で育てるという発想を、子どもは「企業」が育てるに変えるのです。
そうすれば、女性が安心して働けるではないですか。
乱暴かもしれませんが。
「国難」に立ち向かうには、このくらいは当然ではないでしょうか。
子育て中の女性社員の笑顔を見るとそう思わずにはいられません。Goto

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