学生野球の父

来年の春・夏の高校野球大会の開催日程が決まりました。
朝日新聞(9/10)の一面に「第103回・夏の高校野球は8月9日」
「第93回・春の選抜は高校野球大会は3月19日」に開催するとの記事が掲載されました。
今年は春・夏とも中止、残念でしたが、来年の日程を決める時期なんですね。
でも、コロナ禍、収束の見通しが立っていないのです。
中止した今年の総括もしないで、早々と日程を決めて大丈夫かと思いますが、
高校球児たちに取っては朗報です。秋季大会も始まっています。
一段と高い目標を掲げて頑張って欲しいですね。
総括なんて大袈裟ですが。
疑問です。2020年の大会は開催されていれば、春は第92回・夏は102回になります。
しかし、いずれも中止になりました。だったら、回数を数えるのはおかしいのでは?
やらなかったのに、来年、春第93回、夏第103回に数えるのはやったとすることです。
如何なものでしょうか。
過去に遡りますと、1941年、第27回は戦争で中止。やってないのにやった数字に。
歴史では、42・43・44・45年の4年間が中止となっています。
戦後復活した1946年が第28回です。
でも現実は41年の27回は中止ですから、5年間中止にするか、
真逆で4年分をやったことにするか・・ではないでしょうか。
まぁ。そう大したことではないのですが。
中止なのに大会回数に加えられる年と加えない年があるのは不思議です。
どなたか、この疑問を解いて貰えませんか。
主催の朝日新聞はこんな総括をしています。
中止だったが、夏に甲子園交流大会が開催され、球児たちは例年以上に「喜び」
「感謝」の言葉を口にした・・・と、本当にそう思っているのでしょうか。
なんとしても開催するという覚悟も決意も最初から放棄して、責任逃れをしたにも拘らず
世論の反発に耐えきれず「交流試合」という中途半端な交流試合でお茶を濁したのに・・・
「それでも球児たちが喜びを表し、感謝してくれたことで救われた」と
総括すべきではないでしょうか。高野連も朝日新聞も何処までも上から目線です。
それと、白々しいのは「高校野球というものは、学業あっての部活という、
ごく当たり前の事実だ」とも述べています。身勝手も甚だしいです。
あるときは学業といい、あるときは国民的行事といい、
そして、新聞社は販売のためといい、高野連は金儲けの手段にしているのにです。
終戦の翌年、第28回が開催された夏の復活大会で・・・
「学生野球の父」と呼ばれた飛田穂洲(すいしゅう)は「単に強いチームを目指したり
周囲がお祭り騒ぎしたりする風潮を戒め、学生野球は学校教育の一部として
厳たる存在でなければならぬ。グランドは清浄なる広き教室であるとともに
徳育の道場でなければならぬ」と説いた・・・と最もらしく学生野球の父の言葉を
引用して・・・如何にも原点に帰れと総括していますが、どうでしょか。
本気で「グランドは教室」だと考えているなら、
学校の知名度をあげる目的で越境させてでも選手を集め・・勝負にこだわる現実を
放置しているのはなぜでしょうか。如何に綺麗事を並べても世の中は実態を
正確に把握しています。来年やると決めたらどんなことがあっても開催しなさいよ。Goto

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