死生観

人間は働くから人間なのだ・自分と自分の周りの人々の幸せのために
哲学を論じるつもりはありませんが。
古希を過ぎて尚、向上心を持ちたいと思っているから・・お許し願いたい。
最近強く感じるのです。「人間は死すべき存在である」ことを。
親友が言ってくれました。「オマエ病気をしたそうだなぁ。良かったなぁ」
「オマエのような男でも、死ぬことを正面で受け止めることができて」と。
叱られているのか、慰められているのか。でもそこには深い友情があると思えました。
そうなのです。忘れていましたが、「人は必ず死ぬ」のです。
では、人の幸せとは何なのでしょうか。金も名声も美貌も・・そんなモノは
死を前にすれば何の価値もない、むしろ不幸の象徴のようなものです。
人の幸せは「死と対峙しても尚、色褪せない生き甲斐」を持つことではないか。
それは何か。リタイアした人には申し訳ないが、それは「一筋に打ち込んでいくに
値する仕事」ではないか。そう思えて仕方がない。
私は25年以上に渡って、広告の仕事をベースに仲間とともに、
ハッピーメディア・地域みっちゃく生活情報誌を創り続けています。
目的は「地域社会を元気にするため」です。
広告の掲載がピタリと止まったコロナ禍にあっても、情報誌の経営が困難な
状況にあっても、一軒一軒家庭にお届けする情報誌の価値は色褪せることはない。
なぜなら「この仕事に魂を傾けている」からです。
「社会のためになっていると確信している」からです。
この仕事は「自分を幸せにするだけではなく、周りの人々を幸せにできる」からです。
敢えて読者と申しますが、読者の幸せに通じる仕事に打ち込めるから
「死すべき存在」が色褪せないと思えるようになったからです。
人間とはなんぞや。青臭いですが。私は知性や叡智を含み、モノを創ることであり、
経済活動ともなり、遊び心満載である働くこと、仕事に打ち込めるのが人間だと思います。
仕事は人間の存在の根本です。だから私は「人間は働くから人間なのだ」と思っています。
取り分け、誰からも感謝され、喜ばれる仕事ができることが、
いや、そう信じて「死ぬまで働く」ことができる仕事がある限り、
私は人間であると思っています。Goto

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