国産ジェット旅客機撤退

これで、永久に日本ではジェット旅客機は製造できないのでしょうか。
寂しいじゃないですか。そう思いませんか・・・
戦前・航空機開発なら、日本かドイツと言われ、世界の航空機を牽引してきたのに・・
戦後・・・米国の占領政策によって・・航空機の製造が禁じられていたのが解除。
08年に三菱重工業が国産初の民間ジェット旅客機『MRJ』の開発が始まり・・
当初は13年後半には1号機を納入する計画でした。当時、小型機市場はブラジルと
カナダの二つの航空機メーカーが占有。この分野の世界市場に参入、
自動車産業と並ぶ日本の基幹産業になると大いに期待されていました。
どこが難しいのか。なぜ、旅客機が認可されないのか・・・素人には分かりませんが。
15年に試作1号機が初飛行した時には・・・妙に嬉しかったですね。
国補助金を注ぎ込み、愛知県も施設を提供し、岐阜県・三重県も航空産業に関わる企業の
誘致や育成を支援、力を入れてきました。
それが・・・2年前に開発を凍結。
そして、このほど、三菱重工業は国産ジェット事業から正式に撤退するようです。
広報部は「MRJの開発中止について、決定した事実はない」と語るが、
現実は2000人近くいた技術者は現在は数十人と体制は大幅に縮小・・
米ワシントン州の開発拠点も閉鎖するなど撤退の準備が着々と進み、
開発が再開される見通しは遠ざかっていました。
なぜ、断念せざるを得ないのか。
なんでもかんでもコロナのせいにしますが・・・この3年間、航空機の需要が
低下したこともあるのは・・・後追いでしょう・・・
「飛行機はできたが。事業化までは進まなかった」と三菱重工の社長は述べるが。
現実はトラブル続きで、設計変更が相次ぎ、納期は6回延期され、20年10月には
「いったん立ち止まる」と表明、開発が凍結されました。
飛行機ができて、事業化できないってどういうことなのでしょうか。
凍結から撤退の決定まで、2年以上かかったのはなぜでしょうか。
半分、国策の事業なのに、なぜ、三菱重工は放り出したのでしょうか。
真相がはっきりしません・・・
考えられることは・・・民間のジェット機を製造する技術がない。
いや、そんなことなありません。ホンダは米国で小型ジェット機を販売しています。
ホンダに製造できて三菱重工にできぬはずはない。
設計上のミスで断念したのでしょうか。トラブルで・・・でしょうか。
それも違う気がします。どこかから、圧力がかかったのではないか。
そんな穿った見方はできないでしょうか。ブラジルとカナダの2強メーカーの
他に第3のメーカーが例えば米国の。日本製を認めなかったとか。
それとも、あえて三菱重工業と申しますが・・・
もう一歩で完成するにも拘らず、根性なしで、これ以上の投資を渋ったからなのか。
定かではありませんが・・・20年に「いったん立ち止まる」と述べた時点に
遡って、検証したい思いです。それにしても残念です。
三菱がダメなら・・川崎重工業に頑張って欲しいと思のですが・・・
この撤退で永久に国産のジェット旅客機を製造する能力が・・日本にないとなると、
こんな寂しいことはありませんね。Goto

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