理想主義者の朝日新聞記者に・・・次なるステップは政治の道へ・・・
巷では卒業式の真っ最中です。出会いは別れの始まりです。
次のステップへ移り行く若い人たちには夢があります・・・
でも定年を迎え、職場から去る人は・・人生の終焉のような寂しさが漂いますね。
朝日新聞・多事奏論・・・私の大好きなコラムです。
個性豊かな記者たちが、自らの目線で世相を斬る。私的にはなるほどと唸るよりも
やっぱりおかしいかな?と思う内容が多い気がしますが。気づきに勉強になっています。
そんな多事奏論ですが・・・経済担当だったと思うのですが・・・
とりわけ日銀の黒田総裁が示す方針。金融緩和を厳しく批判。返す刀でアベノミクスを否定。
でも代案は何もない・・批判のための批判に意味がるのかと、疑問に思いつつ読ませてもらった・・駒野剛記者がこのほど多事奏論を卒業する。
最後になる記事が掲載されました。
普段は記者名は書かないのですが・・・今回は惜別ですから・・・
「私のコラムは今回で終わります。中島みゆきの歌『ヘッドライト・テールライト」が
聞こえます。「語り継ぐ人もなく」「旅はまだ終わらない・・・」
長い間、読んでくださり、ありがとうございます』と・・ロマンティストだったのですねぇ。
そして、最後のコラムで選んだのは・・・平和の創造者たらんと生きた、
歴史学者の朝河貫一氏の話。朝河は150年前・福島で生まれた。一家は幕末・維新の戦乱の
犠牲者だった。家族には戦死者も。戦争を否定し平和を渇望する環境で朝河は育った。
朝河は留学で渡米、エール大学の教授として歴史学を研鑽した。
日露戦争の講話を話し合う場のポーツマス会議に参加。「領土の割譲や賠償金に
こだわってはならない」と日本代表を説得した。さらに日米開戦直前には、
ルーズベルト大統領に働きかけ・・・和平のため昭和天皇に親書を出させようと画策した。
うまくいかなかったが、朝河は屈せず、日米の和平、日本の自由と民主主義の成長を希求した。
と、駒野記者は綴る・・・・
そして・・朝河がこんな言葉を残していると・・・コラムに書き込む。
「侵略戦争の原因は、人間精神の解放が不十分だから。世界に不平等が存在するという
点にあると再度言うべきでしょう」と。そして、平等は今、夢想すらできぬ状態だが、
それでも不可欠な一歩だと・・朝河の言葉のように綴られるが・・・
うぅ〜ん?話がすり替わっています。
さらにです。自己防衛だった日露戦争はアジアの侵略となり、先の戦争へ。
そして焼け野原になって自滅した日本。全てを失って民主主義と平等な社会を目指したから
戦争に手を染めず来れたのに・・・岸田さんあなたは軍備拡張という戦争準備に走るのでは
なく・・ロシアに撤兵を説き、ウクライナと共にポーツマスの机につかせる尽力をせよと。
駒野記者は・・・朝河の軌跡に想いを馳せるとき、荒唐無稽な幻想ではなく
ロシアを説得することは平和への現実的な挑戦だと・・・ペンを走らす。
朝河もそうですが・・・駒野さん。政治は理想と現実の狭間にあります。
理想主義者は「合楽とんぼ」で良いですね。
理想を語るのは何の責任もないのですから。
私は思うのです。理想主義者こそ、政治の道に進むべきです。
あなたが多事奏論で読者に訴えたことは、理想主義者の溜飲を下げただけです。
引き続き・・・オピニオン編集部記者であられるならば・・生涯一記者ではなく
どうぞ、政治にチャレンジされてはどうでしょうか。
定年となり、記者家業を卒業されるならば・・・それこそ、政治の舞台にと願います。
長きにわたり読ませて頂きありがとうございました。Goto
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