御巣鷹の尾根

悲しみよりも悔しさと憤りを覚えました・・・・

もう40年になりますねぇ。
1985年・8/12・JAL123便が群馬県上野村山中に墜落。
520名が死亡。航空史上最悪の事故・単独機の死者数・史上最悪の航空事故。
あの報道・衝撃は忘れられない。日本中がテレビ報道に釘付けに。

32年前になります。私のことです。
日本エアシステム(東亜国内航空)・JAS451便・名古屋空港を離陸。
1993年・4/18、花巻空港へ向け搭乗していました。花巻空港に差し掛かった。同時に強い衝撃が。墜落・車輪が胴体にめり込み。滑走路をキーキーと音を立てて。胴体着陸。幸い72名の乗客と5名の乗務員・数名がかすり傷を負っただけ。全員無事脱出。あわや大惨事になるところだった。

その時の記憶は今も鮮明に残る。
人は死ぬ。必ず死ぬ。いつ死ぬかはわからない。
であれば、今日を限りに一所懸命・生きねばならない。
その時に思った、私の死生観です。

その事故以来。運よく命拾いして、生かされている私。
御巣鷹の尾根で亡くなってしまった人たち。ご縁はないのだが・・
8月12日・命日報道を目にするたびに、御巣鷹の尾根に行かねばと
思い続けていた。

それが叶った。
きっかけは去年の9月、力をつけてきた群馬の仲間たち。
その激励にと高崎を訪問した際、頑張ってくれている同志から、
航空機事故の話が。そこで意気投合。御巣鷹の尾根に登ろうと。

日程を調整。5月13日・尾根にある慰霊碑に念願叶い合掌することができた。
早朝、岐阜を立ち。名古屋から新幹線、東京で乗り継ぎ高崎へ。
高崎駅で「老人の戯言」に付き合うと出迎えてくれた同志3人。

そこから2時間余、高速道路を経由・上野村・登山口へ。
「オマエが御巣鷹山に行くなら、俺もと」一緒してくれた
高崎の友人とその従業員。計6名で御巣鷹の尾根を。

慰霊碑まで途中、小休止を挟みながら約40分ほど。急さかを登る。
遺族の想いがそうなったのだろう。山道には急拵えの柵があり、
所々にクマ避けの鐘が置かれ。思い思いの墓標が。案内役の同志が
ここにも、あそこにも。犠牲者の芳名が刻まれて。その都度、合掌する。

目的地。御巣鷹の尾根。そこには「昇魂の碑」が。大空の安全を祈る鐘が。
そして石仏・観音像が。その横には犠牲者を偲ぶ遺族たちが寄せた写真や
遺品が納められた木造の小屋が。

案内役が、もう少し上まで登りましょう。そこが尾根の頂上。
大きな木の株が。この木に機体が激突・炎上。周り一帯に犠牲者が。
もちろん、空はどこまでも碧く、山並み遠く新緑が溢れ、ところどころ、
石楠花が山躑躅が咲き誇る。ここで大惨事が。と思うと不思議だ。

目を閉じ、手を合わていると、微かにだが、焼きただれ尚残る切り株から
焦げた臭いを感じる。如何にも、如何にも残念だっただろう。
悲しさよりも悔しさ、憤りを感じる。祈るよりなす術はないのだが。

6人・それぞれの想いを残し下山した。
帰りの道すがら、多くの若者たちとすれ違った。
「ご苦労様です」「気をつけて」と挨拶を交わしながら。

彼ら彼女らは、成田空港からの直行バスで来たという。
多分だが、JALの関係者だと思う。40年・JALの受けた傷もまだ癒やされてはいない。いや、癒やされてはいけない。飛行機事故を起こさぬように。Goto

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