夏と生きること

8月は、ただ暑いだけの月ではなく「生きること」を考えさせる。

今週のブログは、足裏負傷でゴルフにも行けず・・
悶々としていたので、夏の終わりに思うことを角度を変えて書いてみる。

私は暑い夏が大好きです。太陽の下にいると、体の奥から力が湧いてくるような気がするからです。この猛暑に何を惚けたことをと叱られそうですが。
私が夏が好きな理由は、単に暑さだけではありません。お盆という行事があるからです。ご両親が健在の方にはわからないでしょうが・・・

ご先祖を迎える。そう言っても、実際に親父殿と語り合える訳ではない。
それでも、亡き親に思いを馳せ、友の死を偲び、自分で歩んできた道を振り返ります。そしてこれからどう生きるかを考える。人は必ず死にます。けれど普段の生活では、そのことを忘れている。だからこそ、死を意識させてくれる8月が私は好きなのです。

先日、朝日新聞に葬儀をめぐる記事が。
ネット広告で「基本プラン50万〜」と宣伝していた業者に相談すると、祭壇や棺、スタッフや車両などが追加され、最終的には225万に跳ね上がったという話。喪主の経験などない家族は動転し、足元を見られてしまう。記事は必ず見積もりを取り、追加費用を確認すること、できれば家族で話し合っておくことを勧めていました。読んで私は、もし自分が死んだらどう送られたいかを書き残しておこうと思ったのです。そうすれば、家族が迷わずに済み、葬儀も個人の意思を映すものになるからです。

とはいえ、死や葬儀ばかりでは、大好きな夏が湿っぽくなります。
8月は戦争の記憶が語られる季節でもあります。今年は昭和100年、終戦から80年の節目。それだけでなく、普通選挙法制定から100年、55年体制成立から70年、ラジオ放送開始から100年、インターネット元年から30年と、日本社会を映す節目がいくつも重なりました。これらの出来事は、単なる「周年行事」ではありません。私たちが「いま・ここ」をどのように生きているのかを、歴史的に照らし出してくれる手掛かりでもあります。手掛かりにしたいものです。

夏の終わりに考えるのは、死者を悼むことだけではありません。
過去の記憶と現在の社会をつなぎ、これからどう生きるかを問い直すことでもあります。生と死、記憶と現在、相反するようで、実は同じ線上にあるものです。
だから、私は、夏が好きです。8月はただ暑いだけの月ではなく「生きること」を考え直させてくれる月なのです。Goto

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