時間さえ絶対ではない

「うるう秒」から「うるう時間」へ。

世の中に絶対なるモノはない。
あるとすれば、地球が規則正しく自転していることぐらいだろうか。

人間に平等に与えられているモノは二つあると思う。
ひとつは、誰もが必ず死ぬこと。死を恐れるのは、その先がわからないからだという。しかし、人は死ぬ。それだけはわかっている。ならば、死後のことまで思い煩う必要はあるまい。AIに尋ねても答えは出ない。生ある限り最善を尽くす。それでよい。

もうひとつは時間である。富める人にも貧しい人にも、一日は24時間。「私にだけ、学ぶ時間をもう少し下さい」と天に願っても、一分たりとも余分には頂けない。浪費するのも、寸暇を惜しむのも本人次第だが、与えられた長さは平等である。

ところが、その時間さえ絶対ではないという。

「うるう秒」をご存じだろうか。
時間には、地球の自転を基準にした時刻と、セシウム原子の振動によって刻む原子時計の時刻がある。原子時計の登場によって、人類は一秒を極めて正確に定義できるようになった。まるで神の領域に手を掛けたような話だが、人類もなかなかやるではないか。

その結果、地球の自転速度は一定ではないとわかった。潮の満ち引きや大気、海流、地球内部の動きなどによって、わずかに速くなったり遅くなったりする。

そこで両者のずれを直すため、1972年から「うるう秒」が導入された。これまで27回、いずれも一秒を加える調整で、削除された例はない。直近は日本時間の2017年1月1日、午前8時59分59秒と9時00分00秒の間に一秒が挿入された。

たった一秒。されど一秒である。金融取引、交通、通信、電力など、時刻を同期して動く現代社会では、その一秒がシステム障害や混乱を招きかねない。

そこで国際的には、一秒ごとの調整をやめ、自転時刻とのずれを最大一時間まで許す、いわば「うるう時間」への転換が議論されている。現在の案では、連続した新しい協定世界時を2027年5月20日から始める方向だ。ただし、一時間を直ちに加えるという話ではない。数世紀かけて生じ得るずれを、将来まとめてどう扱うかという壮大な議論である。

地球の自転すら一定ではない。人類が絶対だと思ってきた時間にも修正が必要なのである。
そう考えれば、絶対なのは、やはり死だけかもしれない。だからこそ、限りある命を一所懸命に生きる。今日の一時間、目の前の一分一秒を疎かにしない。

時間が揺らぐからこそ、生き方には揺るがぬ軸が要る。
そんなことを考えさせられる「うるう時間」である。Goto

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