地域愛

地域愛なき政治は、日本を不幸にする

地域愛とは、その土地が好きだと口にすることではありません。
自分を育ててくれた地域への恩を知り、この地域を少しでも良くして次の世代へ手渡そうとする、報恩の心です。政治、とりわけ知事や市長など首長の原点も、ここになければならないと思います。

ところが、私たちは時として、地域を愛する人ではなく、自分が当選すること、自分が権力を握ることを目的化し執着する人物をリーダーに選んでしまいます。

選挙の時には県民のため、市民のためと繰り返す。しかし、当選すれば耳ざわりの良い言葉と派手な構想を並べ、自らを大きく見せることに熱心になる。地域の現実より自分の利害、住民の暮らしより自分の実績、次の世代より次の選挙を優先する。それは政治ではありません。権力の私物化です。

本来、首長の椅子は偉くなるための席ではない。地域の苦難を引き受け、住民の声なき声に耳を澄まし、未来への責任を果たすための席です。権限が大きいほど、謙虚でなければならない。注目を浴びるほど、足元を見なければならない。政治家に必要なのは、自分への陶酔ではなく、地域への献身です。地域愛です。

そして、そんなリーダーを選んでしまった責任は、政治家だけにあるのではありません。
私たち有権者にもあります。

耳ざわりの良い公約に期待し、人物の本質を見抜けなかった。地域への愛があるか、権力への執着があるだけなのか。その違いを確かめず、一票を託してしまった。選挙が終われば政治を任せきりにし、発言と行動を十分に見届けてこなかった。

悔やまれます。
しかし、悔いるだけでは何も変わりません。選挙で選んだリーダーだからこそ、私たちには、その政治を正す責任があります。批判のための批判ではない。失脚させたいのでもない。ただ、地域愛という政治の原点に立ち返ってほしいのです。

この地域の何を守るのか。
誰の暮らしを支えるのか。
十年後、二十年後に何を遺すのか。
そして、その政策は本当に地域のためなのか、それとも自分の名を遺すためなのか。

今一度、自らの胸に問うてほしい。
地域は、首長の自己実現の舞台ではありません。岐阜県民が日々働き、子どもを育て、老いを迎え、人生を営むかけがえのない故郷です。政治の成果とは、首長の知名度が上がることでも、壮大な構想を語ることでもない。住民の暮らしが少し良くなり、地域の未来に希望が生まれることです。

地域を愛するなら、自分を飾る前に、地域の声を聞いてほしい。自分の功績を求める前に、地域の課題に汗を流してほしい。次の選挙を考える前に、次の世代を考えてほしい。

権力は握り締めるものではありません。地域のために使い、やがて次へ渡すものです。どうか、原点に帰っていただきたい。地域愛を政治の土台に据え、県民のため、市民のために、謙虚に、誠実に働いてほしい。それが、選んでしまったことを悔いる一人の有権者としての、批判を超えた切なる願いです。
Goto

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