除夜の鐘が泣いている。
三歳から高校卒業まで、神社の境内に徒歩2〜3分の集合団地?に住んでいた。紅白を観ながら食事。それが終わると、親父殿が着物に着替え、家族(といっても母と三人)で初詣。これが大晦日から元旦にかけての行事だった。
こんな田舎町の、何処にこれだけの人が居たのか?と、呆れるほどに神社は賑わいを見せる。神社のご利益に縋る庶民。それに応える、凛とした神社。沿道には屋台が並び、三が日は、お年玉を握り、ガキ大将を気取り、あちら、こちらの店を覗いたもんだ。
親父殿が亡くなり、住居を他に移してからは、元旦の午後、お参りする。この神社は、御鎮座が1900年以上も前の古社。岐阜市の総産土神。主神は五十敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)。地域を開拓し、この地方の発展に寄与、農耕社会の基礎を築いたと、いわれる。
斉藤道三が稲葉山(現金華山)に居城を移した折、現在地に。岐阜市民が氏子の由緒ある神社。年に一度、初詣で訪ねる以外には、無沙汰だが、金華山とこの神社は、子供のころの遊び場。この町をこよなく愛する原風景だ。
今年も元日の午後、降りしきる雪の中、母も連れ家族5人、お参りさせて頂いた。例年同様、おみくじを引かせてもらい、桜の枝に結び、願も掛けた。
正月そうそう、神様に注文を付けるようで、気が引けるが、我が神聖な神社、岐阜の氏神様を汚すのではないかと思うので一言。昨年の初詣の折にも「うん〜」と首を傾げたので。
大勢の参拝者に続き、参道を上る。参集殿を通り、手を洗い、太鼓橋を横目に、階段を上る。神殿まで粛々と進む。事故や怪我がないようにと随所に、気配りがされ、雪で足元が悪いのを防ぐ。関係者のご苦労が滲む。
で、神殿に入る。帽子を脱ぎ、賽銭を入れ、拍手を打ち、思いを祈念する。「一年が始まるぞ」と気合を入れて、顔を上げる。と、目の前の柱に、大きな朱の文字が殴り書き。何が書いてあると思いますか?
「八方塞りの人の生まれ年、一覧表」「千九百何年の00歳、十数の年表と歳が列挙」その下には、お祓いを受けなさいと。
無病息災、家内安全、商売繁盛。大願成就。を願い、初詣に訪れた氏子に「あなたが、この年に生まれ、この年齢だと、八方ふさがりの年になる。だから、祈祷を受けなさい。」と。いくら、世の中、いかがわしい宗教に頼る風潮があるとはいえ、1900年に亘る由緒ある総産土神が祀られる神殿で、正月から、氏子を脅かして。以前にはこんな張り紙は無かった。
この神社は我が心の故郷、原風景。ここまで、拝金主義に毒されていると思うと、虚しさが募る。悩める氏子に救いをと、張り出してあるのだろうが、初詣で、こんなに露骨に、神社商法を見せ付けられるのは、興ざめだ。除夜の鐘が泣いているのではないか。来年からは、「ご祈祷受けます」程度にして頂けないものか?
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