読書週間

信じよう・・・本の力。
文化の日を挟んで2週間・・・・「信じよう、本の力」をテーマに第65回読書週間がスタートしました。虫の声に耳を澄ましながら、秋の夜長を好きな本に更けるのも・・・人生の潤いではないでしょうか。
若者の活字(文字)離れを嘆く声が聞かれますが?どうしても・・・そうは思えません。
新聞の購読部数減少と出版社の売上低迷が・・嘆きの原因だですが実態とは掛け離れています。
なぜなら、メール(手紙)は文字文化の普及です。メールをやらない若者はいまや、変人です。情報収集手段としてのPCやスマートフォンは、そもそもが文字を読むことが主体です。決して、文字離れしてるわけではありません。
郵便制度ができて、140年。日本の歴史で、これほど、多くの日本人が簡易に手紙(通信を文章で)のやり取りした歴史があったでしょうか。そもそも、文章を綴るのに抵抗の無い人は本をよく読みます。
メールは文章ではないとか、携帯ではゲームばかりで、文字文化とはいえない。と反論する人もあるかと思いますが、それも、間違いです。魅力ある本や新聞ならば・・・若者は飛び付きます。その良い例が、まんがや単行で面白い内容の本は・・・ミリオンセラーを記録します。
新聞各紙は読書週間の特集を組んで、本の価値を訴え、読んで欲しい本の紹介を掲載していますが、日本人は「世界有数の本を読む国民」であり、さらに、その底辺がIT技術の進歩で拡大していると知るべきです。
全国の小中高校で実施されている「朝の読書」運動。文科省が、声高に推奨したわけではありませんが、小学校で77%(最高は佐賀、全県で実施・90%以上が12県・最低は東京都56%)中学校も77%(沖縄が全校で実施・長野・鳥取は95%・最低は東京・大阪の58%)高校は43%(佐賀・高知・静岡が80%以上・最低は大阪・埼玉の17%)で実施されています。
高校は別として、義務教育で、これだけ、本に親しむ運動を展開した歴史があったでしょうか。
そもそも読書週間の目的は「読書の力によって、平和な文化国家を創る」ことにあります。
論理的な思考のできる国民を増やすことです。「朝の読書運動」の普及は将来に大きな可能性を秘めているといわねばなりません。
問題は、将来にあるのではありません。現在にあります。高校での実施率が半数にも達していない。大学生が本を読まないこと。それと、子どもに最も影響力のある大人(親)が・・・・余りにも本を読まない実態です。
読書週間の真の目的は、子どもに本を読もうと呼びかけているのではない。新聞も読まない。本にも触れようとしない。安易なテレビ番組でお茶を濁す大人に・・・「本の力を信じて」下さいと訴えているのではないでしょうか。   Goto

コメント

  1. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    文科省でも教育委員会でも首長でもメディアでもかまわないのですが、なぜ「朝の読書」運動をもっと推奨しないのでしょうか。日本中の小中高校・・・100%にならないのが疑問です。ゆとり教育で、個性を伸ばすことを目的に、自由課題の時間があった筈です。いまはどうなっているのか分かりませんが。本を読む力を付けさせることは、最も重要な教育課題です。大人に本を読め・・はとても難しいです。新聞も読まない人が増えているのですから。だから、子どもに期待です。Goto

  2. 匿名 より:

    本当にそうですね。
    本を読むことを強要するのではなく、活字の中にある楽しさや面白さを子供たちに知ってもらうのが大切なことだと思います。
    先日もある友人にメールで俳句を作って送ったのですが、何と俳句が5・7・5で構成されていることを知らないのです。(勿論、自由律俳句もありますが、全くそれ以前の信じられない話なのです。)
    その彼がマンガを否定し、子供たちを否定する。
    いまやは、ハリウッドの映像専門家も評価する日本のマンガ(アニメ)が生み出す繊細で迫力ある描写は、明らかに文学に匹敵する新たなジャンルを築いています。
    読書という一元的な形に囚われることなく、大人自身がもっと努力することが必要だと思います。