政治の責任を問う

26年度の暫定予算を組む必要はあるのか?

年度末を迎え、「暫定予算」という言葉が紙面を賑わせている。
だが、その本質を正しく理解している人は意外に少ない。

暫定予算とは、本来編成されるべき本予算が年度開始(4月1日)までに成立しない場合に、政府の機能を止めないために編成される“つなぎ”の予算である。
人件費や社会保障、公共サービスなど必要最低限の支出に限られ、国家運営の継続性を担保するための非常措置だ。

では、なぜこのような事態に至ったのか。
新年早々の衆院解散により、国会日程は大きく圧迫された。
本来であれば、与野党が責任ある審議を尽くし、年度内成立を図るべき本予算が、政治日程の都合で後ろ倒しとなった。

加えて、政局を優先する対立構造が審議を停滞させ、結果として暫定予算という異例の措置に頼らざるを得なくなったのである。

13日、本予算は衆院を通過した。参院で可決されなくとも、憲法の規定により4月11日に自然成立する。国家の機能停止を防ぐための制度ではあるが、本来あるべき姿では決してない。

ここで、あえて厳しく問いたい。
なんと無意味で不毛な国会か。
野党が存在を示したいのか。参院の権威なのか?
なぜ、こんな時間稼ぎをするのか。理解不能である。

国際情勢は緊迫している。とりわけイラン情勢は不透明さを増し、ホルムズ海峡の安全が揺らいでいる。原油価格の高騰は避けられない。もしもエネルギー価格がさらに上昇すれば、インフレは一段と進み、国民生活は確実に逼迫する。

そのような局面において、たかが11日間、暫定予算で凌ぐ意味はどこにあるのか。迅速かつ大胆な経済対応が求められる時に、政治が足踏みをしていてどうするのか。

野党に申し上げたい。
予算の年度内成立を拒むことが、果たして国民のためになるのか。

政府へのチェックは当然の責務である。しかし、優先順位を見誤り、国民生活に直結する予算の成立を遅らせるのであれば、それは責任ある政治とは言えない。これでは、野党が国民から支持されるはずがない。

プライオリティの分からぬ政治家に、政治を担う資格があるのか。厳しい言い方ではあるが、今の国会の姿は、その問いを突きつけられている。

人間学的に言えば、「責任」とは結果に対する覚悟である。
与党であれ野党であれ、国政に関わる以上、その覚悟から逃げてはならない。

暫定予算という異例の措置は、政治の未成熟を映す鏡である。この現実を直視し、堂々と本予算を年度内に成立させる。その当たり前を取り戻すことこそ、政治の責任ではないか。Goto

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