「すぐやる。必ずやる。できるまでやる」は経営哲学ではない。
かつて日本電産、現ニデックを率いた永守重信氏の代名詞ともいえる言葉である。日本電産は1973年、京都の町工場から出発した。創業時わずか数名、資本金も乏しい中で、精密小型モーターというニッチ分野に活路を見出し、世界一へと駆け上がった。
HDD用モーターでは圧倒的なシェアを握り、自動車、家電、産業機器へと事業を拡大。1990年代以降はM&Aを駆使し、2020年代には売上高2兆円を超える巨大企業へと成長した。
東証プライム。上場は1988年。以降、長期にわたり高収益体質を維持し、日本を代表する製造業の一角を占めてきた。
その中心が創業者永守氏である。叩き上げの経営者、猛烈な現場主義者、そして徹底した成果主義。「社員は家族」と言いながらも、結果には厳しく、世界中の企業を買収し、短期間で再生させる手腕は「伝説」と称された。
社会的評価も高く、経団連副会長を歴任、藍綬褒章や旭日重光章を受章。さらに、私財を投じて大学を設立し、工学教育の振興にも尽力した。産業界と教育界の双方に足跡を残した人物である。
しかし、その栄光の影に潜んでいたものが、昨年以降明るみに出た。不適切な会計処理の連鎖である。グループ会社において、損失の先送りや利益の過大計上といった不正が複数発覚。
第三者委員会が設置され、その報告書は「強すぎる業績プレッシャー」が組織全体を歪めたと結論づけた。減損損失は最大で2500億円規模に及ぶ可能性が指摘されている。
手口は複雑で巧妙、監査法人のチェックもすり抜けていたという。もし長期にわたり不正が継続していたとすれば、監査体制の不備もまた問われるべきであろう。企業統治とは経営者のみならず、それを取り巻く全体の問題だからである。
だが、ここで考えねばならぬ。
「すぐやる。必ずやる。できるまでやる」こと自体が、果たして悪なのか。
否である。
それは営業の基本であり、仕事の原点である。林修氏の「いつやるか、今でしょ」と同質の、行動を促す言葉に過ぎない。これをメディアが経営哲学と持ち上げ、あるいは今回の問題の根源と断じるのは、いささか短絡に過ぎる。
問題の本質は別にある。
それは「人間」に対する洞察の欠如である。経営とは数字を作ることではない。人を活かすことである。
故稲盛和夫氏は「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問い続けた。そこにあるのは、人間としてどうあるべきかという根源的な問い、すなわち人間学である。
永守氏の経営は、結果として巨大企業を築き上げた。しかし、その過程で「恐れ」による統治が組織の隅々まで浸透したとすれば、それは持続可能な経営とは言えまい。人は恐怖ではなく、志によって動くべき存在だからだ。
高い目標を掲げることは尊い。だが、その達成の過程において、人間の弱さ、限界、そして良心への配慮を欠いたとき、組織は歪む。どれほど優れた戦略も、どれほど強いリーダーも、人間理解を欠けば長くは続かない。
今回の不祥事は、一人の経営者の問題であると同時に、すべての経営者への警鐘である。人は成功すればするほど、周囲の声が届かなくなる。驕りは自覚なきまま忍び寄り、気づいた時には、何も見えなくなる。
「すぐやる。必ずやる。できるまでやる」それは確かに仕事の姿勢としては正しい。だが、それを支えるべきは、何のためにやるのかという「志」であり、「人としてどうあるべきか」という哲学である。
経営哲学とは、手段ではない。
人間を極めようとする不断の問いである。
永守氏の晩節を汚した今回の出来事を、他山の石としたい。
我々は問われている。成果のために人を使うのか。人を活かすために成果を求めるのか。その違いこそが、経営の質を決定づける。Goto


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