日経が高級ブランドに。

新聞命の私である。

毎朝、六紙に目を通すのが日課だ。さらに週に一度、石巻日日新聞が届く。その紙面に触れるたび、新聞という媒体の底力と矜持を思い知らされる。

私は記事内容はもちろんだが、紙面構成や広告の扱いに敏感だ。編集の意図、広告主の狙い、読者へのメッセージ。その微妙な変化に、つい過剰なほど反応してしまう。

3月20日、春分の日。日本経済新聞朝刊に、思わず手が止まった。

題字が二つある。通常の一面の上に、もう一面が巻かれている。見開き裏表、4ページすべてが一社による広告。しかも一面と最終面を跨ぐ大胆な構成である。

クライアントはVan Cleef & Arpels。

1906年、パリで創業。現在はスイスの高級ブランドグループ、Richemont(リシュモン)傘下にあり、世界中にブティックを展開するトップクラスのジュエラーである。芸術性の高いデザインと卓越した職人技で知られ、王侯貴族やセレブリティに愛されてきた。

紙面には、花々が咲き誇る幻想的な世界。その中に輝くネックレス。素人目にも数百万円は下らぬ逸品であろう。裏面には蝶が舞い、ブローチやピンが軽やかに配置される。まるで夢の中に誘うような構図だ。

日経の読者層を思えば、明確に富裕層を意識した広告である。とはいえ、円安のこの時代、こうした高級品に手を伸ばせる人はどれほどいるのか。多くの読者にとっては「美しいが、遠い世界」の話であろう。

その一方で、この日の本物の一面トップは「インフレ再燃、動けぬ中銀」。原油高のリスク、金融政策の難局。現実は厳しい。

豪奢なジュエリーと、逼迫する経済記事。
この落差に、私は強い違和感を覚えた。
しかし、広告の現実を考えれば、また別の見方もできる。

新聞は、信頼性の高い媒体である。その紙面に載る広告は、企業にとって「信用」を買う行為だ。しかも近年は広告料金が相対的に下がり、大型出稿が可能になっている。富裕層のみならず、知識層へも確実に届く。広告主にとっては極めて効率的な投資である。だからこそ、ブランド広告が新聞に回帰しているのだろう。否定するモノではない。

では、新聞の矜持とは何か。
広告収入に支えられながらも、社会の現実を正確に伝えること。その両立にこそ価値がある。

広告は夢を描き、記事は現実を突きつける。
新聞は、その両極を一枚の紙に同居させる媒体である。

だが、貧富の差が拡大する今、その振幅はあまりにも大きい。読者はその間で揺れる。私もまた揺れている。広告業界の一端に身を置く者として、考えさせられる。

もし我々の情報誌に、同様の高級ブランドから出稿の打診があったならどうするか。地域密着を掲げる媒体として、読者に寄り添うべきか。それとも、新たな価値観を提示する場として受け入れるべきか。

答えは容易ではない。
だが一つ言えるのは、媒体には哲学が必要だということだ。誰に、何を、どう届けるのか。新聞が今、豪華ブランド広告と現実報道の狭間で揺れているように、我々もまた、自らの立ち位置を問い続けねばならない。

新聞を愛するがゆえの、このジレンマ。それもまた、新聞という存在の奥深さなのであろう。私には受け入れ難いのだが。Goto

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