義務教育の本質を考え直すきっかけになれば良いのだが。
日本数学会(そんな会があるんですね)が6000人を対象に「大学生の数学基本調査」を実施。小中学校レベルの出題にも拘らず全問正解1,2%だったそうで、基礎的な数学力、論理力に大きな課題があると指摘した。
昨今、大阪の橋下市長が、授業に付いていけない子を思えば、小中学生の留年もあってしかるべきではと、問題提起したことと、ダブり、考えされられる。
数学力低下をゆとり教育、大学全入時代で難易度が下がったことを理由にあげているが?
果たして、そうだろうか?なんでも、この調査、初めて実施されたとのこと。比較がないのに、「大学生数学危機」(朝日)「ゆとりで数学力低下」(読売)と危機感を煽る必要があるのだろうか?
そもそも、数学なんてものは、日常生活には、全く必要がない。実社会でも、数学力を必要とする職場が多いわけでもない。勿論、数字に強い。詳しい。得意である方が、弱いよりも数段役に立つのは間違いないが。
それと、昨今、教育問題をすべてゆとり教育で、片付けるのは如何なものか?
基礎的な学力が、小中学校で身に付いていないとしたら、責任は、義務教育の関係者にある。
直接的には義務教育を形骸化し、子供の学力を身に付けさせることを放棄した、平等主義、平均主義の文科省の教育方針にあり、怠慢教師にあり、教育委員会の制度にあり、そして、その総括責任者である地方自治体の首長にあるのではないか。ゆとり教育に責任転嫁はお門違いじゃないか。
だとすると、この調査を受け、真剣に考えなければならないのは、義務教育だからといって、子供の能力や、格差を無視した進級制度に問題はないのか。平等主義が実は、不平等を生み出してしまってはいないのか。飛び級も留年もあって良いのではないかといった、義務教育改革の必要性ではないのか。
土台。文系受験ゆえに、数学なんて、早い時期に放棄してしまった中途半端な学生時代、青春を過ごしてしまったおっさんに教育問題を語る資格などないのだが。数学会の初調査に右往左往することなど、本末転倒と言わねばなるまい。
数学なんてモノは、今も、昔も、得意な人たちに支えられてきたのであって、大半の人には、縁遠いもの。だが、数字に強くないと。数字を食べるくらいにならないと、実社会では、人の上には立てないのもまた事実ではあるのだが。Goto
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