残す目的

カトリック・神言修道会・多治見修道院に思う。

今日は親父殿の誕生日。存命なら大正11年(1922)生まれですから103歳。
1987年に鬼籍に入りましたので、亡くなって38年です。
私、76歳(12月に喜寿)今でも折に触れ、時に触れ、教えを思い起こすのはなぜでしょうかねぇ。

38年も経っているのに、未だ親父殿の掌から飛び出せないからでしょうねぇ。
享年65歳でしたから、それよりも10年以上生かされているのに・・・。
まだまだ・・修養が足りんってこと。生涯現役・定年臨終と思い定め、もうひと頑張りせにゃと、仏壇に合掌です。

多治見市に1930年に建てられた「修道院」があります。
とんがり帽子のような搭と、赤い屋根。白い壁、上部が丸い窓。
周囲には葡萄畑があり、地下室で醸造したワインやシスターたちが
焼いたクッキーが販売されています(今もあるかは?)

この修道院には、親父殿との思い出があります。
私が小学校の4年生。親父殿が単身赴任で岐阜新聞の東濃総局長(多治見市)だった時、一度だけ、多治見市へ。その折に連れて行ってくれたのが、修道院。
今でも多治見市を訪れると、丘陵地に立つ修道院に目が行きます。

その修道院・築95年。市のシンボル的存在ですが、老朽化のため、解体されることに。急に決まった話ではないようで(私は知らなかった)2022年3月・「カトリック神言修道会」は「今後10年のうちに解体する」との方針を決めたという。ですから、正式にいつ解体されるかはわからないのだが・・

多治見DMO(観光協会)などが「歴史的、文化的価値がある建物を市民の財産として残せないか」と神言修道会と協議を重ねているという。保存できるかどうか、まずは耐震調査を実施することは合意したようだ。そのための寄付集めを7月から開始するという。DMOは「建物を残せる保証はないが、可能性を模索する取り組みを地域と連携しながら進めていきたい」という。

私にとっても思い入れのある建物です。残して欲しいとは思うのですが。
この多治見修道院は、南山大学の母体であるカトリック神言修道会により
日本管区の中央修道院として建設されたもの。公共的ではあるが、修道会のもの。最終判断は修道会が決める。市民の哀愁で残せるかどうか微妙だ。

最近思うのです。
旧岐阜県庁舎も、岐阜市内にある郵便局もそうですが。
歴史的建造物だから残せという人たちがいる。その声に押されてそのまま残っている。その代表例が東京丸の内・郵便局がそうですね。

日本には欧州のように石文化の建造物はない。修道院は木造です。
これだけ耐震の基準が厳しくなる時代に、残すとなるとリフォームに
大変な費用が掛かる。であるとするならば、新たな100年に向けて、
歴史に残る建造物を再構築してはどうか。であれば、私も僅かだが、
浄財をと思う。

亡父を思う気持ち。私と我が社の心には残るだろう。
でも亡父が喜ぶのは、創業者として、我が社が永遠に繁栄することである。
ましてや、カトリックの修道院だ。民の幸せに起因するかどうか。
そこが保存するかの決め手ではないだろうか。Goto

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