中道連合よ。道を示せ、でなければ公明党と離婚を。
2月の衆院選で敗北を喫した「中道改革連合」が、ようやく5月になって総括を公表した。内容は、党内の意思疎通不足、支持層への浸透不足、急拵えの合流による理念共有の甘さなど、多岐にわたる反省である。だが、率直に申せば、「遅い」。あまりにも遅い。
戦に敗れたなら、即座に敗因を明らかにし、次の戦いへの覚悟を固める。それが組織である。ところが、敗戦の総括に三カ月も費やす。これは単なる時間の問題ではない。妥協に妥協を重ね、腹が座っていない証左ではないか。だからこそ、落選前議員の離党が止まらぬのである。
すでに離党者は前議員8人、新人3人。さらに予備軍もいるという。地方議員も20人を超えて離れていった。理由は明白だ。「この党に未来が見えない」。政治家は理想だけでは生きられぬ。支持基盤が崩れ、展望が示せねば、人は離れる。
小川代表は「党勢浮揚が十分ではない。先行きを示せない責任は私にある」と陳謝した。潔い言葉ではある。しかし、謝罪だけでは組織は立ち直らぬ。政治とは、謝ることではなく、道を示すことだからだ。
そもそも、中道改革連合は、立憲と公明による急拵えの結党であった。理念よりも選挙戦略を優先し、「反自民」の旗の下に寄り集まった印象は否めない。だが、政治とは理念の共同体である。理念が曖昧なままでは、苦境に陥った瞬間に瓦解する。
私如きが何を申しても微力だが、
敢えて具申したい。
もし、本気で政権を目指すなら、参院も含め立憲民主、公明は完全合流し、一体化すべきである。政策も組織も選挙も一本化する。中途半端な同居では意味がない。
それができぬなら、合流を解消した方が良い。面子を捨て、早期離婚である。傷が浅いうちに別れ、それぞれが原点に戻り、再建を図る。立民は立民として、公明は公明として、改めて国民の信を問えばよい。
政治とは「信なくば立たず」である。
人間関係も同じだ。信頼を失えば、夫婦も会社も仲間も崩れる。政治だけが例外ではない。離合集散を繰り返すのも政治だが、その根底には「何のために集まり、何を成し遂げたいのか」という大義が必要だ。
私は立民に消えてほしいとは思わぬ。むしろ、健全な野党として頑張ってもらわねば困るのである。権力を監視し、暴走を正し、国民に別の選択肢を示す。それが野党の使命だ。
だからこそ、負けを潔く認めねばならぬ。中途半端な総括をやり直し、ゼロから再出発する覚悟が必要だ。その覚悟なき組織は、やがて静かに消滅する。支持母体である連合もまた、同じ運命を辿るだろう。
人間学の視点で言えば、政治とは「己を磨く修養」である。権力を得るためではなく、国民の暮らしを守るため、自らを律し、信を積み重ねる営みである。驕りも、打算も、保身も、最後には国民に見透かされる。
政治に必要なのは、策ではない。
最後は「覚悟」なのである。Goto


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