李下に冠を正さず

人は力では動かぬ。徳であり、節度であり、感謝であり、自らを慎む品格で動く。

トランプ大統領を巡る騒動は尽きない。近年、暗殺を企てたとされる事件や、不審者による接近、集会会場での警備強化などが相次ぎ、米国社会の分断の深刻さを物語っている。

民主主義国家において、選挙で選ばれた指導者に対する暴力は断じて許されぬ。思想信条が違おうが、気に入らなかろうが、大統領は米国民が選んだ国家指導者である。暗殺や暴力で政治を変えようとする行為は、民主主義そのものへの冒涜である。

しかし、だからと言って、選ばれた権力者が何をしても許されるわけではない。

米国は世界最強の国家である。軍事も経済も金融も、世界秩序を左右する力を持つ。その頂点に立つ米大統領の振る舞いは、米国内だけの問題では済まされない。日本を含め、同盟国や国際社会全体に巨大な影響を与える。

日本は戦後、一貫して米国との同盟を国家運営の根幹としてきた。自民党政治もまた、日米関係を基軸に歩んできた。それ自体を全否定するつもりはない。安全保障を考えれば、現実論として米国との連携は必要であろう。しかし、その結果として、日本人が「アメリカ様には逆らえぬ」とばかりに、何でも受け入れる風潮になってしまったとしたら、それは健全な国家観とは言えまい。

トランプ流の「アメリカ・ファースト」は、自国第一主義である。関税を武器に同盟国を揺さぶり、国際協調を軽視し、気に入らなければ力で押し切る。その姿に喝采を送る米国民がいるのも事実だろう。だが、日本人の感覚からすれば、あまりに身勝手で、粗暴で、品格を欠いて見える。

さらに驚かされるのは、米政府倫理局が開示した大量の株式取引問題である。この1〜3月だけで3700件超の証券取引をしていたという。しかも、政権の政策によって株価が大きく変動する企業が多く含まれていた。米国では大統領の株式保有や取引は禁止されていない。法的には問題ないと言うのだろう。

しかし、人間学の視点から見ればどうか。

政治とは本来、公に奉仕する行為である。国家指導者は私利私欲を抑え、国民全体の利益を優先せねばならぬ。己の権力によって市場を動かし、その変動の中で巨額の利益を得る。仮に合法であったとしても、「李下に冠を正さず」の精神からは程遠い。日本人の感覚では、到底納得できるものではない。

権力とは、自らを律する覚悟が伴ってこそ尊い。

私は、米国の民主主義そのものを否定する気はない。しかし、「強い者が勝つ」「儲けた者が正義」という価値観だけで国家を動かせば、やがて社会は荒廃する。今、米国社会で噴き出している激しい憎悪や分断、そして暴力の萌芽は、その歪みの象徴ではないか。

識者は言う。「あと2年半の辛抱だ」と。しかし、そういう問題ではない。国家指導者の人格や倫理観は、その国の品格を映す鏡だからだ。

人間は力だけでは人を導けぬ。最後に人を動かすのは、徳であり、節度であり、感謝であり、自らを慎む品格である。そこを失った時、どれほど巨大な国家であろうと、その繁栄は長くは続かない。Goto

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