ぼくの父さんは桃太郎という奴に殺されました。
今日一日幸せでいたいと思えば「床屋に行きなさい」髪を整え、襟足を綺麗にしてもらえば幸せでいられます。今週一週間幸せでいたいなら、車を買いなさい・・新車の匂いが幸せにします。一年間幸せでいたいなら・・・家を買いなさい新居に幸せを感じます。
一生涯幸せでいたいなら・・・正直でいなさい。正直者はバカを見るなんていう古人もいますが。何を言っているのですか。バカ正直ほど、幸せに生きれることはありません。正直に生きていれば、殺伐とした時代だからこそ・・幸せなことはないのです。
日本新聞協会・・・2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」の結果が発表されました。我が社のクリエーター達、今年度のテーマ「しあわせ」に縁遠いのか。残念ながら出品しませんでしたが、応募作品1069点。厳正な審査の結果最優秀作品は博報堂の「めでたし、めでたし」(写真参照)に決定しました。
「ぼくのお父さんは桃太郎というやつに殺されました」・・・衝撃的なコピー。思わず身を乗り出し・・・子供鬼の涙に納得します。・・・一方的な「めでたし、めでたし」を生まないために。広げよう、あなたがみている世界・・・と続きます。
鬼を成敗して意気揚々引き上げる桃太郎一行を、親を殺され恨み骨髄で見送る鬼の息子・・・桃太郎の正義は果たして「めでたし、めでたし」か?桃太郎に救われた人々の幸せは、誰かを犠牲にして成り立って良いのか。・・・もっともらしいですねぇ。広告効果は抜群です。
世界的、日本的な審査員を唸らせるにはもってこいの作品ですねぇ。でも、私は・・良いと思いません。なぜか。スポンサーはいったいどこを対象にしているのでしょうか。この広告にはスポンサーの影が見えません。特定せよと言っているのではありませんが・・・
釈迦に説法ですが。広告とはスポンサーがイメージされなければ広告とは言わないのです。広告にはなりません。それと、「しあわせ」なんてテーマを選考対象にした、日本新聞協会の広告委員会のノー天気ぶりにも理解不能です。
「しあわせ」なんて千差万別。個人によって違います。人間万事塞翁が馬・・鬼の子供も桃太郎を恨んだまま一生を終えたのか?鬼から解放された人々は「しあわせ」になれたのか。桃太郎の家来たち、成敗が仇となり不幸になったかも知れません。
「しあわせ」なんて抽象的過ぎます。そもそもが広告賞のテーマにはなりません。このテーマを選らんだ人って、決して正直な生き方をしている人ではないと思うのです。だから、大賞は出来レースで最初から大手の代理店に決まっていたのでは?「しあわせ」はひねくり回すモノではなく、正直に生きることですから。Goto
10/21読売新聞
コメント
鬼の目にも涙。鬼が笑う。心を鬼にする。鬼を悪にしたのは誰なんでしょうかねぇ。岐阜県郡上市大和町に鬼の頭蓋骨があります。角が生えていますよ。
Goto
鬼は例えば、オサマ・ビン・ラディンであったかもしれない。フセインかもしれない。
アルカイダと米国の闘いなんて、正にそうですよね。
9.11だけ見たら明らかに米国が被害者だけれども
そこまで行くにはそれだけの、血で塗られた歴史がある。悲しい涙や、憎しみの連鎖は
どうしたら減らすことができるのでしょうね…?
鬼は悪を具現化したものですですから、子供の鬼が居たとしてもそれは悪と云うことで考えないと、話が変になります。悪にも心がある、良心がある、みたいな中途半端な考え方がこのコピーを生んだんでしょう。
なんとなく後味の悪いコピーです。桃太郎は英雄なんですから…それ以下でもそれ以上でもないと思います。見方を変えたらどうだ!いいだろう!みたいで、ちょっとカッコいいけど偽善を感じる私です。